1.はじめに
拙稿「岐阜キリシタン小史 (68) イエズス会文書に見る織田信忠とキリスト教」では、イエズス会の『日本年報』および宣教師書簡を手がかりに、信忠が岐阜において示した信仰の歩みを検討した。
今回はその続編として、同じくイエズス会文書に記された織田秀信の動向に目を向けたい。信忠と同様、秀信についても断片ながら重要な記述が残されている。
秀信については、これまでにも幾度となく触れてきた(拙稿 「岐阜キリシタン小史(2)、(56)、(57)、(58)、(59)」を参照されたい)。あらためて詳述するまでもないが、簡単に織田秀信について記しておく。
