岐阜キリシタン小史(69) 再び、コンスタンチノのこと①

 拙稿「岐阜キリシタン小史(17)」では、尾張キリシタン黎明期の人物コンスタンチノを取り上げた。その際は、尾張キリシタン研究の二人の泰斗の著作、森德一郎氏の『尾濃切支丹年表』と横山住雄氏の『尾張と美濃のキリシタン』を参照し、両氏の記述を整理するかたちで紹介した。
 その後、イエズス会の「日本年報」や宣教師書簡、およびフロイス『日本史』を読む機会が増え、これら一次史料に描かれたコンスタンチノ像を、あらためて自分自身の視点で整理してみたいという思いが強くなった。
 なお、洗礼名コンスタンチノ(Constantino)はラテン語の Constantinus に由来し、もともとの意味は「変わらない」「揺るがない」といった安定した性質を表している。そのため、この名は「揺るがぬ人」「忠実な人」「堅固な人」といったイメージを持つ名前として受け継がれてきた。キリスト教の世界では、信仰にしっかり立つ姿勢を象徴する名として親しまれている。
 今回から二回にわたり、宣教師史料に記されたコンスタンチノの姿を紹介していきたい。まず今回は、イエズス会の「日本年報」と宣教師書簡に現れる彼の動向を取り上げる。参照した資料は、同朋舎出版・松田毅一監訳の『十六・七世紀イエズス会日本報告集』(全十五巻)であり、まずはこの報告集に記されたコンスタンチノの記事を抽出するところから始めたい。引用した文は、同資料に記された記述をそのまま採録する。( )内は引用文に付された補足、[ ]内は本稿筆者による補足である。また、引用文ではコンスタンチノを「コンスタンチイノ」と表記していたため、原文どおりに採録した。

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キリシタン史学習会 2026/07/04 当日配布資料掲載しました

たくさんのご来場ありがとうございました。

当日配布資料掲載しました カラー版ダウンロード可能です。

当日の様子

東海聖書神学塾塾生 笠松教会実習 2026/07

2026/07/02~2026/07/05

5日礼拝当日には皆さんのお証をお聞きする素晴らしい時を得ました。力と慰めに満ちたお話で感動の涙とともに元気をいただきました。力強い特別讃美も感謝でした。

7月5日 特別讃美新聖歌401 「悲しめる者に」(録音は途中からになります🙇‍♂️)
新聖歌401 「悲しめる者に」
1 悲しめる者に我を遣わし 伝えしめよ汝なが救い
 御心とあらば主よ何処(いずこ)にも 喜びて我は向かわん
 この身この魂を 献(ささげ)まつれば主よ受け入れて
 恵みを取り継ぐ管とし給え 滅びゆく者のために
 
2 小暗(おぐら)き所に我を遣わし 照らさしめよ汝(な)が光
 御言葉によりて息吹き返す 死にかかりし者もあらん
 この身この魂を 献げまつれば主よ受け入れて
 恵みを取り継ぐ管とし給え 滅びゆく者のために

3 色づける畑(はた)は見よ刈り入るる 人の来たるをば待てり
 刈り入れ場に疾(と)く我を遣わし 用い給え我が君よ
 この身この魂を 献げまつれば主よ受け入れて
 恵みを取り継ぐ管とし給え 滅びゆく者のために

4 いかでか我のみ 手をこまねきて
 空しく立ちつくすべき 召さるるをば待ち
 我ここにあり 遣わし給えこの身を
 この身この魂を 献げまつれば主よ受け入れて
 恵みを取り継ぐ管とし給え 滅びゆく者のために

三位一体後第5主日礼拝メッセージ「愛は苛立たず」2026/07/05

聖書箇所:コリント人への手紙第一 13章4~7節
田中道子神学生

4愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。 5不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。 
6不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
7そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。:口語訳

三位一体後第4主日礼拝「とりなしてくださる主」2026/06/28

聖書箇所:ヨハネの手紙第一2章1節-2節
野々垣晶子牧師

1わたしの子たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためである。もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる。 2彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である。ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである。:口語訳

笠松キリスト教会のごあんない

笠松キリスト教会は、聖書信仰に根ざすプロテスタントの教会です
1957年、今から66年前、ドイツのジャーマン・アライアンス・ミッション(GAM) から派遣された宣教師によって建て上げられ、以来、生ける神さまのみことばをこの地の皆さまにお伝えしてまいりました。
私たちは礼拝や聖書を通して、私たちを造ってくださった神さまの愛と救い主イエスさまの恵みをいただいています。
あなたにもぜひその恵みを受け取っていただきたいと願っています。

主日礼拝 毎週日曜 10:30-11:30 
教会学校 毎週日曜  9:45-10:20 
聖書の学びと祈り会 毎週水曜 19:30-20:30
毎週木曜        10:30-11:30
 (水・木曜日ともにZoom併用)

当教会はバリアフリー対応です。
車椅子ご使用の方もぜひお越しください。駐車場が教会の隣にございます。
当教会はエホバの証人、モルモン教、統一教会とは一切関係ありません。

バリアフリー化されています。車いすで駐車場から移動できます。
スロープ・手すりも設置されています。
玄関には折りたたみ椅子付き手すりも設置
礼拝堂 晴れた日は明るい光も差し込みます。

岩田直子牧師(古知野教会)による修養会 2026/06/21

テーマ:聖書がリアルに感じられる考古学

過越の祝い :食事体験  スライドを用いて詳しくご教示いただきました。
こんな感じで食事を疑似体験できました。(下図参照)
セダープレート (過越の祭りの食事)
  • マロール(苦い菜):わさびか西洋わさび → エジプト時代の苦役
  • カルパス(野菜):エルサレム時代の食事の始まりのオードブルのなごり
  • ハゼレット(もっと苦い菜):マロールと別にもう一種 →民数記9:11「種無しパンと苦菜を添えて・・・」
  • ハロセット(くるみとりんごを交ぜたもの)→エジプト時代のレンが造りを覚えて
  • ゼロア(子羊の前脚のロースト):神の強い御手と過越しの羊
  • ベイツァ(卵):固ゆでの卵(茹でた後ローストする)→神殿時代の犠牲の捧物/神殿の喪失悼む

■マッツァ:種なしパン→罪を表すパン種(酵母、イースト)のないパン →出エジプトの際に、急ぎで用意したため、発行(パンの膨らむ)時間なく作ったパン

■塩水の入った鉢 →エジプトで苦役にあったユダヤ人の涙

一つ一つの意味を確かめながらご用意いただきました
参加者分の食事を用意してより身近に興味深く聴く時が備えられました。
若い頃に触れられた考古学の楽しさや魅力を、イスラエルでのエピソードも交えながら、興味深くお聞かせいただきました。心より感謝申し上げます。

三位一体後第二主日礼拝メッセージ「驚くべき神の愛」2026/06/14

聖書箇所:ルカの福音書 15章 25-32節
奥田健一牧師(羽島教会)

 25ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞えたので、 26ひとりの僕を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。 27僕は答えた、『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです』。 28兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、 29兄は父にむかって言った、『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。 30それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました』。 31すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。 32しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。口語訳

三位一体後第一主日礼拝メッセージ「神の光の中を歩むとは」2026/06/07

聖書箇所:ヨハネの手紙第一1章5節-10節
野々垣晶子牧師

5わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。神は光であって、神には少しの暗いところもない。 
6神と交わりをしていると言いながら、もし、やみの中を歩いているなら、わたしたちは偽っているのであって、真理を行っているのではない。
7しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。
8もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
9もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
10もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はわたしたちのうちにない。:口語訳

三位一体主日礼拝メッセージ「教会の使信」2026/05/31

聖書箇所:ルカの福音書 10章17-25節
野々垣晶子牧師

17七十二人が喜んで帰ってきて言った、「主よ、あなたの名によっていたしますと、悪霊までがわたしたちに服従します」。 18彼らに言われた、「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た。 19わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう。 20しかし、霊があなたがたに服従することを喜ぶな。むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」。
21そのとき、イエスは聖霊によって喜びあふれて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことに、みこころにかなった事でした。 22すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子がだれであるかは、父のほか知っている者はありません。また父がだれであるかは、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほか、だれも知っている者はいません」。 23それから弟子たちの方に振りむいて、ひそかに言われた、「あなたがたが見ていることを見る目は、さいわいである。 24あなたがたに言っておく。多くの預言者や王たちも、あなたがたの見ていることを見ようとしたが、見ることができず、あなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである」。
25するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。 口語訳
養老公園にて 2026/05/30