









聖書箇所:ヨハネの福音書 14章1−4節
奥田健一牧師
1「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。 2わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。 3そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。 4わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」。

聖書箇所:ヨハネの手紙第一 3章2節
野々垣晶子牧師
4すべて罪を犯す者は、不法を行う者である。罪は不法である。 5あなたがたが知っているとおり、彼は罪をとり除くために現れたのであって、彼にはなんらの罪がない。 6すべて彼におる者は、罪を犯さない。すべて罪を犯す者は彼を見たこともなく、知ったこともない者である。 7子たちよ。だれにも惑わされてはならない。彼が義人であると同様に、義を行う者は義人である。 8罪を犯す者は、悪魔から出た者である。悪魔は初めから罪を犯しているからである。神の子が現れたのは、悪魔のわざを滅ぼしてしまうためである。 9すべて神から生れた者は、罪を犯さない。神の種が、その人のうちにとどまっているからである。また、その人は、神から生れた者であるから、罪を犯すことができない。 10神の子と悪魔の子との区別は、これによって明らかである。すなわち、すべて義を行わない者は、神から出た者ではない。兄弟を愛さない者も、同様である。:口語訳

聖書箇所:ヨハネの手紙第一 2章28-3章3節
野々垣晶子牧師
2:28そこで、子たちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、彼が現れる時に、確信を持ち、その来臨に際して、みまえに恥じいることがないためである。 29彼の義なるかたであることがわかれば、義を行う者はみな彼から生れたものであることを、知るであろう。
3:1わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。世がわたしたちを知らないのは、父を知らなかったからである。 2愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。 3彼についてこの望みをいだいている者は皆、彼がきよくあられるように、自らをきよくする。:口語訳

聖書箇所:ヨハネの手紙第一 2章18-27節
野々垣晶子牧師
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18子供たちよ。今は終りの時である。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、今や多くの反キリストが現れてきた。それによって今が終りの時であることを知る。 19彼らはわたしたちから出て行った。しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである。もし属する者であったなら、わたしたちと一緒にとどまっていたであろう。しかし、出て行ったのは、元来、彼らがみなわたしたちに属さない者であることが、明らかにされるためである。 20しかし、あなたがたは聖なる者に油を注がれているので、あなたがたすべてが、そのことを知っている。 21わたしが書きおくったのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、それを知っているからであり、また、すべての偽りは真理から出るものでないことを、知っているからである。 22偽り者とは、だれであるか。イエスのキリストであることを否定する者ではないか。父と御子とを否定する者は、反キリストである。 23御子を否定する者は父を持たず、御子を告白する者は、また父をも持つのである。 24初めから聞いたことが、あなたがたのうちに、とどまるようにしなさい。初めから聞いたことが、あなたがたのうちにとどまっておれば、あなたがたも御子と父とのうちに、とどまることになる。 25これが、彼自らわたしたちに約束された約束であって、すなわち、永遠のいのちである。 26わたしは、あなたがたを惑わす者たちについて、これらのことを書きおくった。 27あなたがたのうちには、キリストからいただいた油がとどまっているので、だれにも教えてもらう必要はない。この油が、すべてのことをあなたがたに教える。それはまことであって、偽りではないから、その油が教えたように、あなたがたは彼のうちにとどまっていなさい。:口語訳

聖書箇所:ヨハネの手紙第一 2章15-17節
野々垣晶子牧師
15世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。 16すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。 17世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。:口語訳

笠松キリスト教会は、聖書信仰に根ざすプロテスタントの教会です。
1957年、今から66年前、ドイツのジャーマン・アライアンス・ミッション(GAM) から派遣された宣教師によって建て上げられ、以来、生ける神さまのみことばをこの地の皆さまにお伝えしてまいりました。
私たちは礼拝や聖書を通して、私たちを造ってくださった神さまの愛と救い主イエスさまの恵みをいただいています。
あなたにもぜひその恵みを受け取っていただきたいと願っています。
主日礼拝 毎週日曜 10:30-11:30
教会学校 毎週日曜 9:45-10:20
聖書の学びと祈り会 毎週水曜 19:30-20:30
毎週木曜 10:30-11:30
(水・木曜日ともにZoom併用)
当教会はバリアフリー対応です。
車椅子ご使用の方もぜひお越しください。駐車場が教会の隣にございます。
当教会はエホバの証人、モルモン教、統一教会とは一切関係ありません。





聖書箇所:使徒の働き 15章1-11節
奥田健一牧師
1さて、ある人たちがユダヤから下ってきて、兄弟たちに「あなたがたも、モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ、救われない」と、説いていた。 2そこで、パウロやバルナバと彼らとの間に、少なからぬ紛糾と争論とが生じたので、パウロ、バルナバそのほか数人の者がエルサレムに上り、使徒たちや長老たちと、この問題について協議することになった。 3彼らは教会の人々に見送られ、ピニケ、サマリヤをとおって、道すがら、異邦人たちの改宗の模様をくわしく説明し、すべての兄弟たちを大いに喜ばせた。 4エルサレムに着くと、彼らは教会と使徒たち、長老たちに迎えられて、神が彼らと共にいてなされたことを、ことごとく報告した。 5ところが、パリサイ派から信仰にはいってきた人たちが立って、「異邦人にも割礼を施し、またモーセの律法を守らせるべきである」と主張した。
6そこで、使徒たちや長老たちが、この問題について審議するために集まった。 7激しい争論があった後、ペテロが立って言った、「兄弟たちよ、ご承知のとおり、異邦人がわたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようにと、神は初めのころに、諸君の中からわたしをお選びになったのである。 8そして、人の心をご存じである神は、聖霊をわれわれに賜わったと同様に彼らにも賜わって、彼らに対してあかしをなし、 9また、その信仰によって彼らの心をきよめ、われわれと彼らとの間に、なんの分けへだてもなさらなかった。 10しかるに、諸君はなぜ、今われわれの先祖もわれわれ自身も、負いきれなかったくびきをあの弟子たちの首にかけて、神を試みるのか。 11確かに、主イエスのめぐみによって、われわれは救われるのだと信じるが、彼らとても同様である」。:口語訳

前回に続き、尾張のキリシタン黎明期に登場する人物コンスタンチノを取り上げる。今回は、ルイス・フロイスの『日本史』に記されたコンスタンチノの記述について見ていきたいと思う。フロイスの『日本史』については、以前に拙稿「岐阜キリシタン小史」で触れたが、あらためてその概要を整理しておく。
フロイス『日本史』 História de Japam“岐阜キリシタン小史(71) 再び、コンスタンチノのこと②” の続きを読む
1. 成立と性格
フロイス『日本史』は、1560年代から1590年代にかけてフロイスが継続的に執筆した大規模な叙述史料であり、戦国期日本の政治・宗教・社会を宣教師の視点から記録したものである。彼は各地での宣教活動に従事しながら、為政者との接触、仏教諸宗派との論争、地域社会の慣習、信徒共同体の形成などを詳細に観察し、それらを長期にわたり書き留めた。本書は、同時代の日本を比較的近い距離から捉えた点に特徴があり、記述の具体性と量的な豊富さから、戦国期日本研究において不可欠の史料とされている。
2. 全巻構成
『日本史』は、一般に以下のような大きな構成を持つ。
第1部:日本の風俗・宗教・社会の概説
日本の宗教状況(仏教諸宗派の特徴)、社会慣習、政治制度、地域差などを概説する部分。フロイスの日本理解の基礎が示される。
第2部:宣教活動の開始と展開
ザビエル以降の宣教の歩み、各地での布教、信徒の増加、仏教側との論争、領主との関係などを叙述。
第3部:戦国大名との関係
織田信長との接触、安土での活動、信長の宗教政策、京都・畿内の政治情勢などが中心。
第4部:豊臣政権期の動向
秀吉政権下の宗教政策、伴天連追放令、九州の情勢、キリシタン大名の動向など。
第5部:地域別の詳細な記録
九州・畿内・東国など、地域ごとの社会状況や宣教の実態を詳述。
3. 写本の系統
フロイスはポルトガル語で『日本史』を執筆したが、自筆原稿は現存しない。原本は18世紀までの間に失われたと考えられており、現在伝わるのは複数の写本である。
代表的な写本には次のものがある。
① エヴォラ写本(Évora Manuscript)
ポルトガルのエヴォラ公共図書館(Biblioteca Pública de Évora)に所蔵される写本で、現存する『日本史』諸写本の中でも最も重要なものの一つである。日本語訳『完訳フロイス日本史』(中央公論社・中央公論新社)は、この写本を主たる底本とし、他の写本とも比較・校訂している。
② ローマ写本(Roman Manuscript)
ローマのイエズス会歴史文書館(Archivum Romanum Societatis Iesu:ARSI)に所蔵される写本。エヴォラ写本と比較すると、、本文に語句の違いや脱落などの異同が認められ、本文校訂の重要な資料となっている。
③ ラテン語訳・抄訳
17世紀以降、『日本史』の一部はラテン語に翻訳・抄録され、ヨーロッパで利用された。ただし、原著全体を忠実に翻訳したものではないため、本文研究では補助資料として扱われる。
※写本段階での異同が多いため、研究では「どの写本系統に依拠するか」を明示することが重要となる。
1.はじめに
拙稿「岐阜キリシタン小史(17)」では、尾張キリシタン黎明期の人物コンスタンチノを取り上げた。その際は、尾張キリシタン研究の二人の泰斗の著作、森德一郎氏の『尾濃切支丹年表』と横山住雄氏の『尾張と美濃のキリシタン』を参照し、両氏の記述を整理するかたちで紹介した。
その後、イエズス会の「日本年報」や宣教師書簡、およびフロイス『日本史』を読む機会が増え、これら一次史料に描かれたコンスタンチノ像を、あらためて自分自身の視点で整理してみたいという思いが強くなった。
洗礼名コンスタンチノ(Constantino)はラテン語の Constantinus に由来し、もともとの意味は「変わらない」「揺るがない」といった安定した性質を表している。そのため、この名は「揺るがぬ人」「忠実な人」「堅固な人」といったイメージを持つ名前として受け継がれてきた。キリスト教の世界では、信仰にしっかり立つ姿勢を象徴する名として親しまれている。
今回から二回にわたり、宣教師史料に記されたコンスタンチノの姿を紹介していきたい。まず今回は、イエズス会の「日本年報」と宣教師書簡に現れる彼の動向を取り上げる。参照した資料は、同朋舎出版・松田毅一監訳の『十六・七世紀イエズス会日本報告集』(全十五巻)であり、まずはこの報告集に記されたコンスタンチノの記事を抽出するところから始めたい。( )内は引用文に付された補足、[ ]内は本稿筆者による補足である。また、引用文ではコンスタンチノを「コンスタンチイノ」と表記していたため、原文表記をそのまま維持して採録した。
1.はじめに
拙稿「岐阜キリシタン小史 (68) イエズス会文書に見る織田信忠とキリスト教」では、イエズス会の『日本年報』および宣教師書簡を手がかりに、信忠が岐阜において示した信仰の歩みを検討した。
今回はその続編として、同じくイエズス会文書に記された織田秀信の動向に目を向けたい。信忠と同様、秀信についても断片ながら重要な記述が残されている。
秀信については、これまでにも幾度となく触れてきた(拙稿 「岐阜キリシタン小史(2)、(56)、(57)、(58)、(59)」を参照されたい)。あらためて詳述するまでもないが、簡単に織田秀信について記しておく。