三位一体後第5主日礼拝メッセージ「愛は苛立たず」2026/07/05

聖書箇所:コリント人への手紙第一 13章4~7節
田中道子神学生

4愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。 5不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。 
6不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
7そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。:口語訳

三位一体後第4主日礼拝「とりなしてくださる主」2026/06/28

聖書箇所:ヨハネの手紙第一2章1節-2節
野々垣晶子牧師

1わたしの子たちよ。これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためである。もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる。 2彼は、わたしたちの罪のための、あがないの供え物である。ただ、わたしたちの罪のためばかりではなく、全世界の罪のためである。:口語訳

三位一体後第二主日礼拝メッセージ「驚くべき神の愛」2026/06/14

聖書箇所:ルカの福音書 15章 25-32節
奥田健一牧師(羽島教会)

 25ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞えたので、 26ひとりの僕を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。 27僕は答えた、『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです』。 28兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、 29兄は父にむかって言った、『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。 30それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました』。 31すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。 32しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。口語訳

笠松キリスト教会のごあんない

笠松キリスト教会は、聖書信仰に根ざすプロテスタントの教会です
1957年、今から66年前、ドイツのジャーマン・アライアンス・ミッション(GAM) から派遣された宣教師によって建て上げられ、以来、生ける神さまのみことばをこの地の皆さまにお伝えしてまいりました。
私たちは礼拝や聖書を通して、私たちを造ってくださった神さまの愛と救い主イエスさまの恵みをいただいています。
あなたにもぜひその恵みを受け取っていただきたいと願っています。

主日礼拝 毎週日曜 10:30-11:30 
教会学校 毎週日曜  9:45-10:20 
聖書の学びと祈り会 毎週水曜 19:30-20:30
毎週木曜        10:30-11:30
 (水・木曜日ともにZoom併用)

当教会はバリアフリー対応です。
車椅子ご使用の方もぜひお越しください。駐車場が教会の隣にございます。
当教会はエホバの証人、モルモン教、統一教会とは一切関係ありません。

バリアフリー化されています。車いすで駐車場から移動できます。
スロープ・手すりも設置されています。
玄関には折りたたみ椅子付き手すりも設置
礼拝堂 晴れた日は明るい光も差し込みます。

岩田直子牧師(古知野教会)による修養会 2026/06/21

テーマ:聖書がリアルに感じられる考古学

過越の祝い :食事体験  スライドを用いて詳しくご教示いただきました。
こんな感じで食事を疑似体験できました。(下図参照)
セダープレート (過越の祭りの食事)
  • マロール(苦い菜):わさびか西洋わさび → エジプト時代の苦役
  • カルパス(野菜):エルサレム時代の食事の始まりのオードブルのなごり
  • ハゼレット(もっと苦い菜):マロールと別にもう一種 →民数記9:11「種無しパンと苦菜を添えて・・・」
  • ハロセット(くるみとりんごを交ぜたもの)→エジプト時代のレンが造りを覚えて
  • ゼロア(子羊の前脚のロースト):神の強い御手と過越しの羊
  • ベイツァ(卵):固ゆでの卵(茹でた後ローストする)→神殿時代の犠牲の捧物/神殿の喪失悼む

■マッツァ:種なしパン→罪を表すパン種(酵母、イースト)のないパン →出エジプトの際に、急ぎで用意したため、発行(パンの膨らむ)時間なく作ったパン

■塩水の入った鉢 →エジプトで苦役にあったユダヤ人の涙

一つ一つの意味を確かめながらご用意いただきました
参加者分の食事を用意してより身近に興味深く聴く時が備えられました。
若い頃に触れられた考古学の楽しさや魅力を、イスラエルでのエピソードも交えながら、興味深くお聞かせいただきました。心より感謝申し上げます。

三位一体後第一主日礼拝メッセージ「神の光の中を歩むとは」2026/06/07

聖書箇所:ヨハネの手紙第一1章5節-10節
野々垣晶子牧師

5わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。神は光であって、神には少しの暗いところもない。 
6神と交わりをしていると言いながら、もし、やみの中を歩いているなら、わたしたちは偽っているのであって、真理を行っているのではない。
7しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。
8もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。
9もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
10もし、罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とするのであって、神の言はわたしたちのうちにない。:口語訳

三位一体主日礼拝メッセージ「教会の使信」2026/05/31

聖書箇所:ルカの福音書 10章17-25節
野々垣晶子牧師

17七十二人が喜んで帰ってきて言った、「主よ、あなたの名によっていたしますと、悪霊までがわたしたちに服従します」。 18彼らに言われた、「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た。 19わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう。 20しかし、霊があなたがたに服従することを喜ぶな。むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」。
21そのとき、イエスは聖霊によって喜びあふれて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことに、みこころにかなった事でした。 22すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子がだれであるかは、父のほか知っている者はありません。また父がだれであるかは、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほか、だれも知っている者はいません」。 23それから弟子たちの方に振りむいて、ひそかに言われた、「あなたがたが見ていることを見る目は、さいわいである。 24あなたがたに言っておく。多くの預言者や王たちも、あなたがたの見ていることを見ようとしたが、見ることができず、あなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである」。
25するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。 口語訳
養老公園にて 2026/05/30

ペンテコステ礼拝メッセージ「聖霊をうけなさい」2026/05/24

聖書箇所:ヨハネの福音書 20章19-23節
野々垣晶子牧師

 19その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。 20そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。 21イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。 22そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。 23あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。 口語訳

岐阜キリシタン小史(68)イエズス会文書(「日本年報」・宣教師書簡)に見る織田信忠と岐阜のキリシタン史

 拙稿『岐阜キリシタン小史(55)―織田信忠と岐阜のキリスト教―』では、信忠時代の岐阜におけるキリスト教の動向を取り上げ、その中でイエズス会の「日本年報」にも触れた。
今回は、その「日本年報」そのものに焦点を当て、あらためてその性格と史料的価値について考えてみたい。
 イエズス会による日本宣教の実態を知るうえで、フロイスの『日本史』は欠くことのできない基本史料である。しかし、同時代に作成された 「日本年報」や宣教師書簡もまた、これに劣らぬ重要性をもつ一次史料である。
 「日本年報」は、各地の宣教師が毎年ローマ本部へ送った公式報告であり、布教状況・政治情勢・迫害・戦争・信徒数などを、出来事から大きな時間差なく記録した一次的な“現場報告”である。叙述的・文学的性格を帯びるフロイス『日本史』とは異なり、速報性と事実性を重視した点に、この史料の特徴がある。
 一方、フロイス『日本史』は、イエズス会の命により体系的に編纂された大部の歴史叙述であり、日本文化・人物像の描写に優れ、信長・秀吉期の政治史研究において不可欠の史料として利用されてきた。ただし、その叙述には伝聞や主観的判断が混じる部分もあり、物語的構成力と引き換えに一定の脚色が入りうる点が指摘されている。

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