聖書箇所:ルカの福音書4章16-22節
小林剛男牧師
1.知ることは物事の大切な第一歩である。
2.神様のことばが心のなかに実現することが大切。
3.み言葉が私たちの生き方の中に実現することが大切。
キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。
コロサイ人への手紙3:16
愛する兄弟たちよ。このことを知っておきなさい。人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。
人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。
ヤコブの手紙 1:20

聖書箇所:ルカの福音書4章16-22節
小林剛男牧師
1.知ることは物事の大切な第一歩である。
2.神様のことばが心のなかに実現することが大切。
3.み言葉が私たちの生き方の中に実現することが大切。
キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。
コロサイ人への手紙3:16
愛する兄弟たちよ。このことを知っておきなさい。人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。
人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。
ヤコブの手紙 1:20

聖書箇所:創世記9章20-29節
鴨下直樹牧師
創世記9章20-29節「ノアの箱舟5 平和に潜む罠」
いよいよ、今回でノアの物語の最後になります。 これまで、ノアの生涯を見てまいりましたけれども、本当に、ノアは神と共に歩んだということが分かる素晴らしい生涯でした。ところが今日の個所は少し違います。この最後のところでノアの失態が物語られているのです。
私は聖書を読みながら時々思うのですけれども、聖書の中に現れる信仰者の姿というのは、いつも完璧ではないなと思うのです。信仰の父と呼ばれたアブラハムにしても、旧約聖書の代表とされるモーセも、あるいはあのダビデ王ですらそうです。誰もがどこかで過ちを犯しています。聖書はそのような信仰の人物の失態を隠そうとはしていません。ここでも同じです。ノアは神の目にかなう、ただ一人の正しい人物であったはずです。ところが、聖書はそのような正しい人、ノアの失態を描くのに何の躊躇もないのです。
“主日礼拝メッセージ ノアの箱舟5「平和に潜む罠」2026/02/15” の続きを読む聖書箇所:ヨハネの福音書 11章25節
鴨下直樹牧師

今日は使徒信条の最後の告白、「からだのよみがえりとこしえのいのちを信ず」という部分から、この信仰告白が伝えるところをご一緒に考えてみたいと思います。
芥見教会の近くに、中部学院大学というミッション系の大学があります。もう今から15年ほど前にことですけれども、当時、この中部学院の宗教総主事であった笠井恵二という先生が勤めておられたことがあります。この先生は何冊も本を出しておられた方で、私も何冊か読んだことがあります。この大学では、近隣の牧師を招いて「牧師招待会」という会を毎年開いておりまして、その時に神学者の笠井恵二先生が「日本の宗教性」という発題をいたしました。この発題がとても興味深い内容でしたので、少し紹介したいと思います。この笠井先生という方は、スイスのバーゼルで学んだ方で、他宗教とのことに問題意識を持っておられる方で、日本の宗教性ということに関心を持っておられる方です。
その牧師招待会の講演で笠井先生がこんな話しをしておられました。笠井先生の教え子に、神道の神主になった方が何人かいらっしゃるそうです。そこである時こんな質問をしたのだそうです。「神道では人が死ぬとどうなるのか?」と。神主になった元生徒はこう答えました。「それは、人は死んだら神になって家族を見守る。そして、誰も自分のことを知っている者がいなくなるとさらに上の神、つまり祖霊になる」というのです。これが、日本の宗教性のベースにあるということなのです。
聖書箇所:ルカの福音書3章7-14節
小林剛男牧師
1.思いやりの心を持つ
2.貪欲は人を満足させられない
3.新しい生き方することを神様は願っている

突然だが、奈良商工会議所主催の「奈良まほろばソムリエ検定」(通称:奈良検定)という検定をご存知だろうか。いわゆるご当地検定である。
2013(平成25)年1月に実施された「奈良まほろばソムリエ検定」で、次のような問題が出た

(問)ルイス・フロイスの『日本史』に記載されている、松永久秀の多聞城を絶賛した書簡を差し出した宣教師は誰か。
「ア」.ドン・ジュスト 「イ」.ルイス・デ・アルメイダ
「ウ」.ミゲル・ミノエス 「エ」.ベルナール・プティジャン
多聞城は奈良市法蓮町(東大寺の北西)に築かれた松永久秀の城で、南蛮風の館や庭園を備えた壮麗な居館。正解は「イ.ルイス・デ・アルメイダ」であるが、選択肢の中に「ミゲル・ミノエス」の名前が含まれていることに驚いた。
“岐阜キリシタン小史(62)―ミゲル・ミノエスのこと―” の続きを読む笠松キリスト教会は、聖書信仰に根ざすプロテスタントの教会です。
1957年、今から66年前、ドイツのジャーマン・アライアンス・ミッション(GAM) から派遣された宣教師によって建て上げられ、以来、生ける神さまのみことばをこの地の皆さまにお伝えしてまいりました。
私たちは礼拝や聖書を通して、私たちを造ってくださった神さまの愛と救い主イエスさまの恵みをいただいています。
あなたにもぜひその恵みを受け取っていただきたいと願っています。
主日礼拝 毎週日曜 10:30-11:30
教会学校 毎週日曜 9:45-10:20
聖書の学びと祈り会 毎週水曜 19:30-20:30
毎週木曜 10:30-11:30
(水・木曜日ともにZoom併用)
当教会はバリアフリー対応です。
車椅子ご使用の方もぜひお越しください。駐車場が教会の隣にございます。
当教会はエホバの証人、モルモン教、統一教会とは一切関係ありません。





聖書箇所:ルカの福音書1章8-20節
小林剛男牧師

飛騨高山に刻まれた信仰の最期
これまで岐阜のキリシタンについて書いてきたものの、飛騨地方については触れる機会がなかった。正確に言えば、書くための材料を見いだせなかったと言うべきだろう。図書館などで飛騨のキリシタンに関する資料を探したが、ほとんど見つからなかった。(実のところ、東濃地方についても状況は同じである。)
そうした中で、小西マンショを調べる過程で、思いがけず飛騨との接点を見つけることができた。前回触れたように、マンショが飛騨高山で殉教したのではないかという説がある。あくまで「そのような説もある」という程度で、伝承に近いものではある。しかし、わずかでもキリシタンと飛騨との関わりを示す手がかりを得られたことは、筆者にとって大きな喜びであった。その思いで本稿を書き始めた。
小西マンショの最期の地については、現在も飛騨高山にまつわる伝承が残されている。複数のサイトでは殉教地「音羽」を摂津国の音羽とする説が紹介されているが、高山を流れる宮川周辺にも、かつて「音羽淵」と呼ばれた場所が存在し、古くからこの地こそがマンショの最期の地であったと語り継がれてきた。確証となる史料は乏しいものの、飛騨高山殉教説は地域に根付いた伝承として位置づけられている。
本稿は飛騨高山殉教説を確証するには至らないものの、当時の歴史的状況を踏まえて組み立てた一つの仮説(歴史的想像)としてお読みいただければ幸いである。
禁教下の最後の司祭
小西マンショという人物をご存じだろうか。天正遣欧使節の伊東マンショとは別人である。実を言えば、私自身は小西マンショの名を知ったのはごく最近のことである。加賀乙彦氏の小説『殉教者』―殉教者とはペトロ岐部カスイのことである―を読んだ際、作中に登場する人物として初めてその存在を知った。「マンショ」とは、「温和な」「柔和な」を意味するラテン語 Mansuetus(マンスエートゥス)に由来すると考えられている。
最近、直木賞作家・川越宗一氏の小説『パシヨン』を読み始めたのだが、本作ではこの小西マンショが主人公として描かれている。川越氏の作品を手に取るのは、『大日の使徒』以来であるが、同作はフランシスコ・ザビエルを日本へ導いたヤジローを描いた歴史小説であった。『パシヨン』は『大日の使徒』に先立って書かれた作品であり、川越氏にとって初のキリシタン小説である。

聖書箇所: マルコの福音書 9章14節~29節
梅澤愛伝道師

1.邪悪さからの救いという恵み
2 .不信仰に気づく恵み
3.祈るという恵み
1581(天正9)年、織田信忠の次男として誕生した織田秀則は、兄の秀信より2歳年少であった。兄同様に、1582(天正10)年の本能寺の変により祖父・信長と父・信忠を同時に失ったとき、彼はわずか1歳であった。その後の清洲会議において3歳で織田家の家督を継いだ兄・秀信とは異なり、次男である秀則は、家督を背負う兄を支え、一族の血脈を守る補佐役としての道を歩むこととなった。
秀則の資質を物語る記録が、宣教師ルイス・フロイスの日記に残されている。フロイスは秀則を「素性を知らずに話せば、その品格からドイツの貴族と判断してしまう」と記した。この評は、彼が武将としての勇猛さだけでなく、当時の支配層に求められた洗練された教養と立ち居振る舞いを、若くして身につけていたことを示しているのではないだろうか。秀信が織田家の家督継承者として周囲から強い制約を受けていたのに対し、秀則は一族の実務を担いつつも、制約を受けることは兄ほどではなかった。
