聖書箇所:ヨハネの福音書 11章25節
鴨下直樹牧師

今日は使徒信条の最後の告白、「からだのよみがえりとこしえのいのちを信ず」という部分から、この信仰告白が伝えるところをご一緒に考えてみたいと思います。
芥見教会の近くに、中部学院大学というミッション系の大学があります。もう今から15年ほど前にことですけれども、当時、この中部学院の宗教総主事であった笠井恵二という先生が勤めておられたことがあります。この先生は何冊も本を出しておられた方で、私も何冊か読んだことがあります。この大学では、近隣の牧師を招いて「牧師招待会」という会を毎年開いておりまして、その時に神学者の笠井恵二先生が「日本の宗教性」という発題をいたしました。この発題がとても興味深い内容でしたので、少し紹介したいと思います。この笠井先生という方は、スイスのバーゼルで学んだ方で、他宗教とのことに問題意識を持っておられる方で、日本の宗教性ということに関心を持っておられる方です。
その牧師招待会の講演で笠井先生がこんな話しをしておられました。笠井先生の教え子に、神道の神主になった方が何人かいらっしゃるそうです。そこである時こんな質問をしたのだそうです。「神道では人が死ぬとどうなるのか?」と。神主になった元生徒はこう答えました。「それは、人は死んだら神になって家族を見守る。そして、誰も自分のことを知っている者がいなくなるとさらに上の神、つまり祖霊になる」というのです。これが、日本の宗教性のベースにあるということなのです。















