チャペルニュース ChapelNews

 最近、春になると「イースター」という言葉を耳にする機会が増えました。お菓子のパッケージでも、「イースターパッケージ」と呼んで、ウサギやひよ子の描かれた絵のプリントされたお菓子がお店に並びます。
このイースターというのは、ヨーロッパの春のお祭りというイメージが生まれつつあるのかもしれません。 私自身、3年半の間ドイツで生活したことがあります。ドイツの冬はとても長く、日本人の私からすると、体感的には10月ごろから3月末までは日本でいう冬の季節というイメージがあります。
この季節になると、私は不思議と日本のセミの音が懐かしくなります。あまりにも寒い日 が続くので、セミの鳴き声を聞きながら汗を流すあのベタベタした嫌な感じが、恋しくなるのです。
私が住んでいた地域はそれほど雪が降る地域ではありませんでしたが、暗く寒い日々が長く続くので、本当に春を待ち焦がれる気持ちになるのです。 

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主日礼拝メッセージ 使徒信条による信仰8「十字架につけられた主」2025/03/09

聖書箇所:マタイの福音書27章45-56節
鴨下直樹牧師

使徒信条による信仰 8
マタイの福音書27章45-56節 「十字架につけられた主」
2024.03.09
鴨下直樹

使徒信条の学びも、今日でようやく「十字架」の信仰告白までまいりました。
今、私は「ようやく」と言いましたけれども、「やっと」と言っていいかも知れません。
「十字架」を語ることを楽しみにしていました。十字架を語る、これが牧師の務めであると言うこともできるかもしれません。主イエスの十字架は、これまでも聖餐式の度に何度も語ってきたと言うこともできます。あるいは、いつもの説教においても、背後では十字架を念頭に置いて説教しているとも言えます。そういう意味ではいつも「十字架」を語っていると言うことができるのかもしれません。「十字架」というのは、教会のシンボルですし、また「十字架と復活」はキリスト教教理の中心です。「十字架と復活」を語るというのは、牧師の生涯をもってしても、この十字架を語りきることはできないのではないか、そんな思いにもなります。それほど、豊かな内容がここにはあります。何度語ったとしても、あらゆる方面から語ったとしても十分に語りきることはできない、それが「十字架」の信仰だと言ってもよいと私は思います。

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