岐阜における信長とカブラル(フロイス『日本史』より)(3)
前回からに続く。当時の日本では眼鏡は大変珍しい物であったのだろう。
3.岐阜での滑稽な出来事(眼鏡の誤解)
⚫司祭への驚嘆:岐阜の住民にとって、伴天連は見たこともない人々で、目新しくはなはだ数奇な人々であった。
⚫眼鏡への誤解
近視のフランシスコ・カブラルが岐阜で眼鏡をかけていたことに、一般民衆は衣装よりもはるかに大きい驚嘆を覚えた。
庶民の間では、「伴天連には眼が四つあり、二つは普通の位置に、他の二つはそれから少し外にはずれたところにあって、鏡のように輝き、恐るべきもの」という噂が流布した。
司祭たちの出発日には、岐阜市だけでなく遠隔地や尾張の国から四、五千人の人々が、この不可思議な者を見ようと殺到した。
好奇心から宿泊していた家へ侵入しようとしたため、家主は二階へ昇る階段を取り外す必要があった。
最初に出てきたのは片眼が盲目のロレンソ修道士であったため、四つ眼を期待していた人々は大声で笑わざるを得なかった。
後にフロイスが出てきても眼が二つしかなかったが、人々は三千人ほどで彼を取り巻き、郊外半里のところまで同行した。
4.都帰着後の出来事
•公方様(足利義昭)の敬意:公方様は信長からの報告を聞き、信長同様にカブラルに敬意を示すことを決めた。
•公方様との会見:カブラルは下の地方に戻る前に、フロイス、オルガンティーノ、ロレンソ修道士を伴い公方様を訪問した。
•最高の礼儀:公方様は自ら盃と肴をカブラルに授けた。
•贈物:その後、公方様の政庁でもっとも(注)高位の貴人、上野殿が、六十本の塗金した扇を贈った。
•神の摂理:これらの格別の行為は、仏僧にも示されないほどの好意であり、キリシタ
ンの敵や反対者への屈辱となり、キリシタンの信仰を強化するというデウス(神)の摂理によるものと見なされた。
(注)高位の貴人上野殿…三淵藤英のこと。

