愛知県江南市前野町に「前野家屋敷跡」がある。ここは、戦国時代に木曽川の川並衆として活動した前野将右衛門長康一族の屋敷跡である。
カトリック名古屋教区の『美濃・尾張キリシタン巡礼マップ』 (カトリック名古屋教区宣教司牧評議会殉教者顕彰委員会編 2022年2月)には、次のように記されている。
(『美濃・尾張キリシタン巡礼マップ』は、カトリック名古屋教区のHP内の「資料室」から無料ダウンロードできる)
豊臣秀吉に仕えた前野将右衛門一族の屋敷跡。前野将右衛門はキリシタンと伝えられ、遠藤周作が彼をモデルに小説を書いたことがある。また、戦国時代の一族の物語『武功夜話』を筆記した吉田(前野)千代もキリシタンであり、1667(寛文7)年10月12日、夫と姉妹2人と共に名古屋の千本松原(現在の栄国寺付近)で処刑された。

前野将右衛門長康は、豊臣秀吉の古参家臣として仕え、蜂須賀小六と義兄弟の契りを結んだ人物である。秀吉の政権形成期においては側近として行動し、秀吉の弟・秀長が政務を支えた時期にも、前野家は豊臣家の軍事・行政の一端を担ったとされる。2026年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、秀吉・秀長の政権運営が物語の中心となるが、その中で長康は「秀吉の初期側近の一人」として位置づけられ、豊臣政権の基盤が固まっていく過程で登場人物として扱われている。史実においても秀吉の初期からの家臣として蜂須賀小六と行動を共にし、秀吉の勢力拡大期に軍事面で実務的な役割を担った。美濃・近江・中国方面での戦いに従軍したことが記録に見え、豊臣政権の基盤形成に関わった中堅武将であった。しかし、1595(文禄4)年の秀次事件に連座して切腹を命じられた(長康は秀次の家老職にあった)。豊臣兄弟の権力構造が揺らぐ中で処断された武将の一人である。
前野家に関しては、戦国期の一族の動向を記した『武功夜話』が、伊勢湾台風後に土蔵を整理する中で発見されたことが知られている。この『武功夜話』を筆記したとされる吉田(前野)千代は、巡礼マップにおいてキリシタンとして扱われており、1667(寛文7)年10月12日、夫および姉妹二名とともに名古屋・千本松原(現在の栄国寺付近)で処刑された。処刑理由は尾張藩による「吉利支丹御詮議」によるもので、宗門取り調べの結果とされる。千代の信仰の実態については確定しないが、処刑記録が残ることから、前野家一族がキリシタンとして扱われた事実は確認できる。
前野家屋敷跡の北には天満社があり、古くから地域の社として祀られてきたとされる。また、西側には観音禅寺が位置し、長康の遺品が家臣によって持ち込まれ供養が行われたという伝承が残る。天満社と観音禅寺のあいだを通る道は、1667(寛文7)年に吉田千代らが名古屋の処刑場へ護送された経路とされ、現在「キリシタン道」と呼ばれている。

