岐阜における信長とカブラル(『カブラル書簡』より)(3)
前回からに続き、『カブラル書簡』に記された信長の言動について記したい。
織田信長の言動(2)
食事の際の命令と発言
⚫信長は召使いに、「パードレたちは予と食事を共にするので、食卓で用いられる食器一式はすべて新品でなければならぬ」と伝えさせた。
⚫カブラルが肉食の理由を説明させると、信長は大変気に入り、再び大いに拍手をし、「これらの者たちこそ、自分が探し求める明敏で正直な人々である」と述べた。
⚫信長は召使いを呼び、庭で飼っていた愛玩用の鳥を殺させ、「それらを十分に焼くことを承服するよう」命じた。
⚫ロレンソが説教している最中、信長はカブラルに向き直り、喜悦に満ちた顔で、「パードレたちよ、僧侶たちがそなたらに害をなし迫害するのは、そなたたちが真実を話すからである」と話し、「神も仏もないということは事実であり、信長らは世間を欺いているからである」と述べた。
⚫信長は1時間半ほど説教を聴いた。
⚫信長は足利義昭の重臣(注1三淵藤英)を招き入れ、「予がパードレたちを招いたので、彼らを先に入らせた。今、パードレたちへの相伴を探していたが、貴殿以外にふさわしい人物があろうか」と述べ、三淵に相伴を命じた。
⚫信長は召使いの少年たち3人を呼び、「日本の僧侶たちとは全く違うパードレ方に給仕するのであるから、衣裳部屋にある絹の衣服をすべて与えて新しく着替えさせよ」と命じた。
⚫食事の最中、ロレンソは、将軍義昭の重臣であった三淵に対し、京都(ミヤコ)において助力が必要な時、あるいは将軍への取りなしが必要な時、または誰かが宣教師団に危害を加えようとしているのが分かった時などに、味方となってほしい旨を伝えた。三淵が返答する前に、それを聞きつけた信長が即座に口を挟み、「確かにそうされるがよかろう。貴殿は、予がパードレたちにしてやることに準じて、頼まれたこと以外のこともしてやるべきである。決して反対のことはしないように願う」と断言した。この信長の有無を言わせぬ指示に対し、三淵は恥じ入りながら地上に目を向け、「御意のままに」と返答した。そして、三淵はすぐに注2過去の件に関して深く謝罪した。
(注1)三淵藤英(みつぶち ふじひで、生年不詳~1574年)は室町幕府末期の幕臣で、足利義輝・義昭に仕えた重臣。細川藤孝(幽斎)の兄にあたり、義昭の将軍就任を支えたが、義昭追放後もなお義昭方に忠誠を示したため、信長の命により切腹を余儀なくされた。
(注2) 過去の件…足利義昭は、織田信長に擁立された後も自立した将軍権力を確立しようと努めていた。そのため、義昭政権は京都(都)の支配において、基盤とする多くの寺社勢力との連携と協調を図る必要があり、このことを指しているのではないか(具体的なことは不明)。
暇乞いと旅立
⚫別れの際、信長はカブラルたちに贈り物をしたいと述べ、「本にする紙以外に他のものは見当たらない」と言い、自ら(注3)80連の巻き紙を運び出し、宿舎に運べと命じた。
⚫信長は家臣の一人を呼び、「パードレ方に必要なだけ馬を用意せよ。食料を運び、ミヤコに到着するまで随行する人足を用意せよ」と命じた。
⚫さらに、「予の領国全域において、予の名においてパードレ方を丁重に扱わせ、いかなる出費もさせず、予が所有する城砦に宿泊させるように」と厳命した。
⚫最後に、「ロレンソよ、そなたはミヤコにおいて教会に必要なものを察知し、予に知らせよ。なぜなら、バードレたちが何事にも不足なきことを予は望むからである」と伝えた。
(注3) 80連の巻紙…1連は1,000枚。80連の巻紙とは1,000枚分の紙が巻いてある巻紙が80巻という意味ではないか。
謁見後の言動
⚫信長は信長の家臣を呼び、「日本の宗教はすべからく悪いものである。パードレが説教する事柄は真実と思われ、それゆえ予はこの宗教をひいきすることを決心した」と語ったことを宣教師に伝えている。
⚫カブラル一行が出立する際は、信長の丁重な対応が広まったため、7,000人から8,000人以上の人々が見物に集まり、ミヤコへ到着するまで信長の領国では厚遇が続いた。
(次回に続く)
