岐阜キリシタン小史(40)―ロレンソ了斎と岐阜、そして信長、秀吉との関わり―

ロレンソと美濃、そして信長の心を捉えた宗論

ロレンソ了斎と天下人・織田信長との出会いは、日本のキリスト教史における決定的転換点となった出来事である。
信長が岐阜に入城する数年前、ロレンソの言葉は既に美濃の地に届いていた。永禄3(1560)年、美濃の武将・山田庄左衛門が京都でロレンソと宗論(一度目の宗論)を交わし、その論理的な回答と信仰の深さに心を奪われ、洗礼を受けて改宗した。庄左衛門は美濃のキリシタン伝道の先駆者となり、ロレンソが後に岐阜を訪れる道筋をつけた(このときの顛末は岐阜キリシタン小史(6)を参照のこと)

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主日礼拝メッセージ 使徒信条の信仰15「罪を赦す神の恵み」2025/11/16

聖書箇所:ローマ人への手紙 3章21-30節
鴨下直樹牧師

 

 今日は、使徒信条の最後の方にある「罪の赦し」という告白を一緒に考えていきたいと願っています。

 それで、今朝はローマ人への手紙の3章を開きました。このローマ人への手紙3章のことをかつて改革者ルターは「ローマの書の中心、いや、前聖書の中心と見て良い」と語りました。こう言ったのはルターだけではありません。エミール・ブルンナーというドイツの神学者がおりました。この人は、今から60年ほど前のことですけれども、日本の国際基督教大学で教鞭をとったことがあります。このブルンナーがこのローマ3章21節から26節までのところから大学の礼拝で説教した時にも、「新約聖書の中心」という題で説教しています。それほどに、この箇所は聖書の中心的な内容を語っている箇所なのです。そして、まさにその中心で何が語られているかと言うと、「罪の赦し」をここでパウロは語っているのです。

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岐阜キリシタン小史(39)―『南蛮屏風』に描かれたロレンソ了斎―

下の老人の絵をご覧いただきたい。
和服姿で、右手に杖、左手にロザリオを握った年老いた日本人修道士。この人物こそ、イルマンのロレンソ了斎であるとされている。白い眉毛で背中が曲がった老人の姿は、当時の記録に基づいた彼の特徴であったという。
この図像は、狩野内膳(1570~1616)が描いた『南蛮屏風』の右隻に描かれている。

内膳の落款を伴う『南蛮屏風』は5 件確認できるそうであるが、この屏風は神戸市立博物館蔵のものである。(余談であるが、この博物館は前身のひとつが神戸市立南蛮美術館であったため、南蛮美術の世界的なコレクションを多数所蔵していることでも知られている。)

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岐阜キリシタン小史(38)―日本宣教を支えた修道士・ロレンソ了斎―

16世紀、日本にキリスト教が伝来し、多くの宣教師たちが来日して宣教活動に励んだ。ザビエル、フロイス、ヴァリニャーノ―彼らの働きは広く知られているが、その陰で日本人イルマン(修道士)のすばらしい働きがあったことをご存じであろう。もし彼がいなかったなら、日本の宣教は大きく遅れていたに違いない。その名はイルマン・ロレンソ(ロレンソ了斎)。そのロレンソ了斎(以下ロレンソとのみ記す)について、今回から数回にわたり紹介したい。また、このロレンソと岐阜とはわずかではあるが関わりがあるので、そのことについても触れていきたい。

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岐阜キリシタン小史(37)《証し》感謝!!「美濃のキリシタン」展

この夏、岐阜県美濃加茂市にある美濃加茂市民ミュージアムで「美濃のキリシタン秘められた祈りの証し」展が開催された(2025.7.12-8.24)。私は、個人で、現地ミニツアーで、講演会で、そして妻と、都合4度、足を運んだ。少し遅くなったが、今回はこの企画展を通して教えられたこと、気づかされたことを書いてみたい。

「美濃のキリシタン 秘められた祈りの証し」展(美濃加茂市民ミュージアム)
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