岐阜キリシタン小史(42)―岐阜を訪れた宣教師たち②―

順応者フロイスと厳格者カブラル

 16世紀の戦国時代に日本へ渡来したイエズス会宣教師たちは、キリスト教の布教という共通の使命を帯びながらも、その宣教戦略においては大きく異なる考え方を持っていた。巡察使アレッサンドロ・ヴァリニャーノやルイス・フロイスに代表される「順応主義」と、フランシスコ・カブラルに体現される「非順応主義」は、異文化との接触における二つの対照的なアプローチを示しており、日本における初期キリスト教の展開に影響を与えた。この両者の思想と行動の対立は、単なる個人的な意見の相違に留まらず、イエズス会全体の東方宣教方針を巡る重要な議論を内包していた。


寛大な「順応主義者」ルイス・フロイスの生涯
 まず、寛大な「順応主義者」として知られるルイス・フロイスについて見ていこう。フロイスは1532年にリスボンで生を受け、若くしてイエズス会に入会し、東方宣教という壮大な夢を抱いた。彼は1563年、九州の横瀬浦に上陸することで日本の地を踏み、その後の生涯を日本で過ごすことになる。
 フロイスを語る上で欠かせないのは、彼の柔軟な姿勢と、鋭い観察力である。彼は驚くべき速さで日本語を習得し、京都を中心とした日本の複雑な社会構造や風俗を深く理解しようと努めた。彼の最大の功績は、単なる宣教活動に留まらず、日本での出来事を詳細に記録し、ヨーロッパ本国に伝えたことである。この記録こそが、後に全五巻にもおよぶ大著『日本史』として結実し、戦国時代末期から安土桃山時代にかけての日本の政治、社会、文化、そしてキリシタンの動向を伝える唯一無二の史料となったのである。彼は、畳の上での作法、茶の湯の精神性、武士の厳格な規範といった日本文化に対して、ヨーロッパの視点から敬意をもって記述した。この文化への敬意こそが、彼が実践した「順応主義」の基盤であり、日本の信徒を増やし、教会の土台を築く上で決定的な役割を果たしたと言えるだろう。

ルイス・フロイス像
横瀬浦公園(長崎県西海市)

厳格な「非順応主義者」フランシスコ・カブラルの姿勢
 一方、厳格な「非順応主義者」としてフロイスと対立したのがフランシスコ・カブラルである。カブラルはフロイスよりやや遅れて1570年に来日したが、彼はイエズス会内部で組織運営に長けた、非常に官僚的な手腕を持つ人物であった。彼は来日後すぐに、宣教地における教団の全権を握るイエズス会日本準管区長代理という重責に就き、日本の宣教活動の全てを決定する絶大な権限を持っていたのである。
 カブラルを特徴づけるのは、教義の純粋性への過度な執着と、ヨーロッパ中心主義的なエリート意識である。彼は、キリスト教の教えは絶対的な真理であり、異教徒の文化や習慣と安易に妥協することは、信仰の純粋性を損なうと強く主張した。カブラルにとって、日本の文化、特に仏教や神道は徹底的に排斥されるべき対象であり、宣教師が日本の生活様式や作法を取り入れることに頑なに抵抗したのである。彼の厳しい姿勢の背景には、日本人にはヨーロッパ人には及ばない知性や信仰心しかないという根深い人種的・文化的な差別意識が存在していたと指摘されている。彼は組織の純粋性と効。彼は組織の純粋性と効率を重視し、現場の状況よりも本国の教団規律を優先する、融通の利かない宣教方針を推し進めた。

[カブラルの日本人を評した言葉]
私は日本人ほど傲慢、貪欲、不安定で、偽装的な国民は見たことがない。…日本人は悪徳に耽っており、かつまた、そのように育てられている。

(参考)初期イエズス会宣教師たちの活動
*下表にあるアダプテーション戦略とは、布教を成功させるため、キリスト教の教義の本質は変えずに、現地の文
化、習慣、社会構造に最大限に順応し、受け入れられやすくする方策。
①フランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier)

②コスメ・デ・トーレス(Cosme de Torres)

③ガスパル・ヴィレラ(Gaspar Vilela)

④ルイス・アルメイダ(Luís de Almeida)

⑤フランシスコ・カブラル(Francisco Cabral)

⑥ガスパール・コエリョ(Gaspar Coelho)

⑦ オルガンティーノ(Organtino Gnecchi-Soldo)

⑧ルイス・フロイス(Luís Fróis)

➈アレッサンドロ・ヴァリニャーノ(Alessandro Valignano)

➉ジョアン・ロドリゲス(通事)(João Rodrigues Tçuzu)

⑪ディエゴ・デ・メスキータ(Diogo de Mesquita)

(以上)