―笠松町ゆかりの史跡、遺物―
今回は笠松キリスト教会がある、岐阜県笠松町にゆかりの史跡や遺跡・遺物を紹介したい。まず、織田秀信である。この秀信について、今一度記したいと思う。
秀信(1580-1605)は、信長の長男である信忠の長男として生まれた。信長の孫にあたる。幼名を三法師といい、1582(天正10)年、本能寺の変後の清須会議で織田家の後継者に選ばれた。1584(天正12)年、豊臣秀吉によって岐阜に封ぜられ、秀信と命名された。
“岐阜キリシタン小史(5)” の続きを読む音声メッセージ・教会案内・集会のおしらせを発信しています
―笠松町ゆかりの史跡、遺物―
今回は笠松キリスト教会がある、岐阜県笠松町にゆかりの史跡や遺跡・遺物を紹介したい。まず、織田秀信である。この秀信について、今一度記したいと思う。
秀信(1580-1605)は、信長の長男である信忠の長男として生まれた。信長の孫にあたる。幼名を三法師といい、1582(天正10)年、本能寺の変後の清須会議で織田家の後継者に選ばれた。1584(天正12)年、豊臣秀吉によって岐阜に封ぜられ、秀信と命名された。
“岐阜キリシタン小史(5)” の続きを読む―御嵩町「中山道みたけ館」を訪ねて―
可児郡御嵩町(可児市北東)は、江戸時代には中山道の宿場町として栄えたことで知られているが、それ以外にも白鳳期に創建されたという願興寺という古刹や、平安時代の歌人和泉式部のゆかりの地としても知られ、歴史好きには魅力的な町である。
“岐阜キリシタン小史(4)” の続きを読む―迫害のはじまり―
岐阜県可児かに市は岐阜市の東、約30km、岐阜市から車で1時間弱のところにある。そこに「塩しお」という地区がある。同盟福音・可児キリスト教会(可児市禅台寺)から西に約4㎞、鳩吹山の東側である。1661(寛文元)年、この地に潜伏していたキリシタン24名が捕縛された。現在この地にはカトリック名古屋教区の顕彰碑が建てられている。少し長くなるが顕彰碑の碑文を以下に記す。
“岐阜キリシタン小史(3)” の続きを読む―信長・信忠の遺児たちとキリスト教-
1582(天正10)年、本能寺の変で信長・信忠親子が打たれた後も、信長の遺児たちによってキリスト教の教えは引き継がれていった。
信長の二男、織田信雄(のぶかつ)は尾張清洲の領主を経て、1583(天正11)年、伊勢長島城主となった人物である。彼は信長の弟である織田長益(ながます別名有楽斎)の勧めで1588(天正16)年洗礼を受け、キリシタンとなった。
―信長・信忠父子によるキリスト教保護―
「岐阜の市(まち)に到りましたが人々の語るところによれば、8,000~10,000 人の人口を数えるとのこと、往来する人の数がおびただしく、バビロンの混雑を思わせる程でした。…」これは1569(永禄12)年5 月、イエズス会宣教師ルイス・フロイスがその著書『日本史』の中で岐阜について記した一文である。
“岐阜キリシタン小史(1)” の続きを読む小林剛男牧師
説教題「三種類の人たち」
聖書箇所 マタイの福音書 2章1節から12節
今月のみことば
「だれでもこの子どものように自分を低くする人が、 天の御国で一番偉いのです」 マタイの福音書 18章4節 |