岐阜キリシタン小史(52)―岐阜を訪れたイエズス会宣教師⑫―

織田信長に最も信頼された宣教師・オルガンティノ(1)

 岐阜を訪れたイエズス会宣教師としてフロイス、カブラルを、そして修道士としてロレンソについて、記してきた。今回から数回にわたり、四人目の人物であるオルガンティノのことを書いてみたい。
 グネッキ・ソルディ・オルガンティノは、16世紀後半の日本において、織田信長という戦国の風雲児の信頼を勝ち取った稀有な人物である。1533(天文2)年、北イタリアのカストという町で生を受けた彼は、1570(元亀元)年にイエズス会宣教師として日本に渡り、長崎に上陸した。その後、畿内布教の機会を得て、当時の政治的中枢であった岐阜へと赴き、織田信長との謁見を果たす。1570年6月、フロイスがロレンソ了斎らとともに岐阜へ赴く際にオルガンティノが同行した形だ。この出会いこそが、彼自身の運命のみならず、日本におけるキリスト教布教の行方を大きく左右する転機となっていく。

カストの街並み カストはミラノの東、約90㎞。古代より製鉄を営んだ村であり、
中世のカストは鍛冶で広く知られた。

 岐阜での謁見に際し、オルガンティノの機知と理知を示す逸話が、ルイス・フロイスの『日本史』に記されている。信長は彼に対し、「なぜこれほど遠い国から来日したのか」、また「日本を征服する意図があるのではないか」との疑念を投げかけた。これに対しオルガンティノは、携えていた世界地図を広げ、ヨーロッパから日本に至る気の遠くなるような航路を具体的に示した上で、「これほどの距離を越えて軍勢を送り、維持することは現実的に不可能であり、我々の目的は領土の獲得ではなく、ただ魂の救済にある」と理路整然と説明したという。信長はその合理的かつ現実的な回答に感心し、彼に岐阜での居住と布教の自由を認めた。この時、南蛮風の品々を与えたとも伝えられており、岐阜はオルガンティノにとって、日本における活動の確かな出発点となった。
 また、デウス(神)の存在をめぐる対話も知られている。信長は「目に見えぬ神を信じることはできぬ。その姿を見せよ」と迫った。これに対しオルガンティノは、目には見えないが確かに存在する「風」を引き合いに出し、「風の姿は見えずとも、木の葉が揺れるのを見てその存在を知るように、万物の秩序と精緻さを見れば、それを創ったデウスの存在を知ることができる」と答えたとされる。このような比喩に富んだ応答は、既存の宗教に批判的であった信長の知的好奇心を刺激し、両者の間に一定の信頼関係を築く一因となった。
 1579(天正7)年、安土城が完成した折には、信長自らがオルガンティノを城内に招き、天主の最上階まで案内した。宣教師がその壮麗さを称えると、信長は満足げに、この城は世界のいかなる建造物にも劣らぬであろうと語ったと伝えられている。(次回に続く)

オルガンティノ:『日本国京都のイエズス会士オルガンティノによるイエズス会総長アックアヴィヴァ宛書簡』