下の老人の絵をご覧いただきたい。
和服姿で、右手に杖、左手にロザリオを握った年老いた日本人修道士。この人物こそ、イルマンのロレンソ了斎であるとされている。白い眉毛で背中が曲がった老人の姿は、当時の記録に基づいた彼の特徴であったという。
この図像は、狩野内膳(1570~1616)が描いた『南蛮屏風』の右隻に描かれている。
内膳の落款を伴う『南蛮屏風』は5 件確認できるそうであるが、この屏風は神戸市立博物館蔵のものである。(余談であるが、この博物館は前身のひとつが神戸市立南蛮美術館であったため、南蛮美術の世界的なコレクションを多数所蔵していることでも知られている。)

狩野内膳は安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した狩野派の絵師であるが、もとは摂津伊丹城主・荒木村重の家臣の子であった。主家が織田信長に滅ぼされた後、狩野派の狩野松栄に師事して画を学び、狩野姓を許された人物である。そして、その村重は、キリシタン大名である高山右近や黒田如水(官兵衛)と関わりの深い人物である。具体的には、村重が信長に謀反を起こした際、官兵衛は説得に向かったが、逆に有岡城に幽閉されるに至った。また、右近は村重の与力であったが、村重の謀反時には信仰上の理由から翻意を強く説得し、結果として信長側に離反している。この高山右近とその父・高山友照(飛騨守)を受洗に導いたのがロレンソ了斎であり、如水に熱心にキリスト教信仰を勧めたのが右近であるという、信仰を通じた確かな繋がりが構築されている。村重にゆかりのある絵師、狩野内膳が、このロレンソの姿を描き残したという事実は、単なる風俗描写を超えた、歴史の深い繋がりと宿命的な接点を感じさせるものである。
『南蛮屏風』に話を戻そう。この屏風は1591 年頃の長崎の様子を描いたものと考えられている。とすると、ロレンソ了斎65 歳の姿ということになる。このロレンソ了斎の姿は右隻に書かれており、右隻は異国からの航海を経て日本の港へ到着した南蛮船、貿易品の荷揚げ、上陸したカピタン(船長)一行、彼らを出迎えるイエズス会宣教師やフランシスコ会修道士、日本人信者たちが描かれている。唐物屋には虎や豹の毛皮、絹織物、陶磁器などの貿易品が扱われており、唐物屋の奥には南蛮寺があり、内部ではイエス・キリストの像が掲げられた祭壇の前で礼拝?が執り行われているようである。
一つの屏風からいろいろなことを思わされる。歴史というのは誠に興味深い。

『南蛮屏風』六曲一双(狩野内膳 神戸市立博物館蔵)のうちの右隻 〇がロレンソ了斉
文:笠松キリスト教会 北島智宏
