岐阜キリシタン小史(30)―『尾濃葉栗見聞集』のこと⑫―

今回は前回からの「御定」の続きである。


一、此已前吉利支丹にてころび有之者候はゞ何年已前にころび申との儀、又は先祖の内に右の宗門有之者は其身類門にて無之候とも委細遂穿鑿申遣候様に可仕、外より指候はゞ申分難計越度と可成事。
一、近年露顕の吉利支丹、或は御赦免は斬罪或は牢死或は牢舎にて罷在者の妻子、下人類門にて無之候共委細遂穿鑿申遣候様可仕候、人数すくなき村々は書付にて可指出事。
一、右宗門近年軽き者は雖未露顕此等も弘而幾里支丹は不尽候、すゝめをも致候程の者は深く隠有之、並書物本尊抔をも隠置候者可有之候間入精遂穿鑿候様にと急度可申付事。
附宗門訴人之輩は此已前より御意之通り御褒美可被下従公儀被仰出候事。
右之條改御家中並御領分中様被仰出候間、町人百姓は五人組を定め町年寄庄屋無油断改之、面々召仕之者に至迄堅遂穿鑿、不審成者於有之は頭有之輩は其頭迄早速相達、其頭(注1)横井十郎左衛門、(注2)山内治太夫へ可申届、頭無之輩は右両人之所迄可申届事。
以 上
寛文五年巳正月晦日
一筆啓入候、吉利支丹宗門相改手形取候儀、面々召仕之女共之儀、每年三月、九月出替り候儀に候閒三月中、九月中に手形取置可申候、若出替之以後召抱候衆は不依何時召抱候其時分に手形取り可被申候、將又最前相觸候御書面に召仕之者之儀二月中旬、十一月中旬に手形取被申樣にとの儀候得共被相抱候儀遲滯も可有之閒每歲二月中、十一月中兩度宛手形取置可被申候、若又出替己後被相抱候衆は不依何時其時之手形取置可被申候、右之旨相觸候樣にと重而被仰出候閒如此御座候、恐惶謹言。
寬文五年巳二月四日



(現代語訳)

一、これより以前にキリシタンから改宗した者がいる場合は、何年前に改宗したのか、また、先祖に宗門の者がいる場合は、本人や親類でなくても、委細にわたり調査し届け出よ。外部から発覚した場合、言い訳は許さず落ち度とする。
一、近年露見したキリシタン、あるいは赦免になった者、斬罪になった者、牢死した者、今も牢にいる者の妻子、下人、親類についても、たとえ血縁がなくても詳しく調査し届け出よ。人数の少ない村は書面にて提出せよ。
一、右の宗門の者で、いまだ露見していない者も信仰を広めている。教えを勧めるような者は深く隠れている。また書物や本尊などを隠し持っているはずであるゆえ、精魂を込めて調査を遂行するよう、厳重に申し付ける。
付記 宗門を訴え出た者には、これまでの約束通り、公儀から褒美が下される。
以上の条々は、改めて御家中ならびに領内に申し渡されたものである。よって、町人百姓は五人組を定め、町年寄や庄屋は油断なく改め、それぞれの召し使いに至るまで厳しく調査せよ。不審な者がいる場合は、頭がいる者はその頭まで速やかに連絡し、その頭は横井十郎左衛門、山内治太夫へ届け出よ。頭のない者は、直接この二人へ届け出よ。
以 上
寛文5(1665)年1月31日
一筆申し上げる。 キリシタン宗門改めの手形取得について、召し使っている女たちの件は、毎年三月と九月に交代があるため、三月中および九月中に必ず手形を取得せよ。もし交代後に召し抱えた者がいる場合は、時期に関係なく、その時点で手形を取得せよ。また、以前に触れられた御書面では、召し使っている者について、二月中旬と十一月中旬に手形を取得するようにとの指示があったが、召し抱えの時期が遅れることもあるため、毎年二月中と十一月中の二度、必ず手形を取得せよ。さらに、交代後に召し抱えた者については、時期に関係なく、その時点で手形を取得せよ。
以上の旨を改めて触れ出されたので、必ず従うこと。恐惧謹言
寛文五(1665)年二月四日

次回に続く。

文:笠松キリスト教会 北島智宏