岐阜キリシタン小史(41)岐阜を訪れた宣教師①

16世紀の世界の潮流、日本そして岐阜への宣教の道

 これまで『岐阜キリシタン小史』では、岐阜を訪れたイエズス会宣教師ルイス・フロイスについて、断片的に触れるにとどまってきたが、あらためて彼のことを深く掘り下げてみたいと長く考えてきた。また、フロイスとは異なる宣教方針をもちながらも、同じく岐阜の地を踏んだフランシスコ・カブラル、そしてオルガンティノやロレンソ了斎のことも岐阜との関わりで記してみたいと考えた。
 今回から数回にわたって彼らの生涯を辿りつつ、彼らが日本キリシタン史に残した功績、そして当時の論争について記していきたいと思う。

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2025/12月の ジョイフル賛美は 「善き力にまもられつつ」ご一緒に賛美しましょう

この美しい旋律は心に迫ってきます。

久米小百合(元・久保田早紀)-魂の祈りが、いま歌になる。

映画『ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師』公開記念、ボンヘッファーが処刑1か月前に、婚約者に宛てられた詩がもとに作られた「善き力にわれ囲まれ」、聖フランチェスコの祈りに基づく「あなたの平和の」、DVD『神の沈黙 キリシタン弾圧と原爆』テーマ曲「この世のなみかぜさわぎ」など、祈りと平和への想いを込めた映画イメージアルバム「善き力に囲まれ」より。

映画「ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師」・・・公式ホームページ https://hark3.com/bonhoeffer/


「Von Guten Mächten」の「アンプラグド バージョン」

2025/11/24 HM

チャペルニュース ChapelNews 2025

   クリスマス前の四週間のことを「アドヴェント」(待降節)と呼びます。これは、ラテン語の「アドヴェントゥス」という「到来」や「到着」という意味の言葉が語源となっています。クリスマスにお生まれになられたイエス・キリストが、この世界に到来されたことを楽しみに待ち望む期間のことを「アドヴェント」というのです。

この季節に有名なのは「アドヴェント・カレンダー」でしょうか。

これは、12月1日からカレンダーをひとつずつめくるごとに、何か小さなプレゼントをもらいながら、24日の最大の神からのプレゼントであるイエス・キリストを受け取る備えをするという、心づもりの準備として定着しています。
また、「アドヴェント・クランツ」といって、4本のろうそくを灯す常緑樹で飾られた燭台を備えるという習慣もあります。これは、アドヴェントの日曜日が来るたびに、ろうそくを一つずつ灯していき、4本のろうそくすべてに火が灯ると、クリスマスがやって来るという備えをするものです。このように、アドヴェントの季節には、さまざまな飾りや小さなプレゼントを準備することを通して、クリスマスを待ち望む備えをしていくのです。
 クリスマス前の四週間のことを「アドヴェント」(待降節)と呼びます。こは、ラテン語の
「アドヴェントゥス」という「到来」や「到着」という意味の言葉が語源となっています。

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主日礼拝メッセージ  ノアの箱舟3「大洪水の中で」2025/11/23

聖書箇所:創世記7章17節-8章19節
鴨下直樹牧師

ペレのあたらしいふく

 メッセージの中で紹介されていた絵本です

   * 物ができあがる過程: 羊の毛がどのようにして一着の服になるのか、その手間ひまと人々の協力を通して、モノ作りの大切さが描かれています。
   * 助け合いと労働: 人と人がお互いに助け合い、幼いペレもしっかりと労働の対価を払ってものを手に入れるという、健全な社会のあり方が描かれています。
   * 美しい自然: エルサ・ベスコフによる、スウェーデンののどかな田園風景や人々の素朴な暮らしが、美しく、みずみずしい絵で描かれています。
この絵本は、100年以上前の作品ですが、今も世界中で読み継がれている名作です。

岐阜キリシタン小史(40)―ロレンソ了斎と岐阜、そして信長、秀吉との関わり―

ロレンソと美濃、そして信長の心を捉えた宗論

ロレンソ了斎と天下人・織田信長との出会いは、日本のキリスト教史における決定的転換点となった出来事である。
信長が岐阜に入城する数年前、ロレンソの言葉は既に美濃の地に届いていた。永禄3(1560)年、美濃の武将・山田庄左衛門が京都でロレンソと宗論(一度目の宗論)を交わし、その論理的な回答と信仰の深さに心を奪われ、洗礼を受けて改宗した。庄左衛門は美濃のキリシタン伝道の先駆者となり、ロレンソが後に岐阜を訪れる道筋をつけた(このときの顛末は岐阜キリシタン小史(6)を参照のこと)

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主日礼拝メッセージ 使徒信条の信仰15「罪を赦す神の恵み」2025/11/16

聖書箇所:ローマ人への手紙 3章21-30節
鴨下直樹牧師

 

 今日は、使徒信条の最後の方にある「罪の赦し」という告白を一緒に考えていきたいと願っています。

 それで、今朝はローマ人への手紙の3章を開きました。このローマ人への手紙3章のことをかつて改革者ルターは「ローマの書の中心、いや、前聖書の中心と見て良い」と語りました。こう言ったのはルターだけではありません。エミール・ブルンナーというドイツの神学者がおりました。この人は、今から60年ほど前のことですけれども、日本の国際基督教大学で教鞭をとったことがあります。このブルンナーがこのローマ3章21節から26節までのところから大学の礼拝で説教した時にも、「新約聖書の中心」という題で説教しています。それほどに、この箇所は聖書の中心的な内容を語っている箇所なのです。そして、まさにその中心で何が語られているかと言うと、「罪の赦し」をここでパウロは語っているのです。

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岐阜キリシタン小史(39)―『南蛮屏風』に描かれたロレンソ了斎―

下の老人の絵をご覧いただきたい。
和服姿で、右手に杖、左手にロザリオを握った年老いた日本人修道士。この人物こそ、イルマンのロレンソ了斎であるとされている。白い眉毛で背中が曲がった老人の姿は、当時の記録に基づいた彼の特徴であったという。
この図像は、狩野内膳(1570~1616)が描いた『南蛮屏風』の右隻に描かれている。

内膳の落款を伴う『南蛮屏風』は5 件確認できるそうであるが、この屏風は神戸市立博物館蔵のものである。(余談であるが、この博物館は前身のひとつが神戸市立南蛮美術館であったため、南蛮美術の世界的なコレクションを多数所蔵していることでも知られている。)

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岐阜キリシタン小史(38)―日本宣教を支えた修道士・ロレンソ了斎―

16世紀、日本にキリスト教が伝来し、多くの宣教師たちが来日して宣教活動に励んだ。ザビエル、フロイス、ヴァリニャーノ―彼らの働きは広く知られているが、その陰で日本人イルマン(修道士)のすばらしい働きがあったことをご存じであろう。もし彼がいなかったなら、日本の宣教は大きく遅れていたに違いない。その名はイルマン・ロレンソ(ロレンソ了斎)。そのロレンソ了斎(以下ロレンソとのみ記す)について、今回から数回にわたり紹介したい。また、このロレンソと岐阜とはわずかではあるが関わりがあるので、そのことについても触れていきたい。

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