岐阜における信長とカブラル(『カブラル書簡』より)(2)
今回から数回にわたり、『カブラル書簡』に記された信長との面談の様子を見ていきたい。訳文の全文掲載はできないため、ここでは信長の発言や振る舞いなど、重要と思われる箇所を中心に抜き出し、紹介したい。なお、訳文は岡美穂子氏の「フランシスコ・カブラルの長崎発書簡(1572年9月23日付)に見る岐阜」(岐阜市歴史博物館研究紀要21』2013年)より引用させていただいた。そのことをお断りしておく。
1.岐阜への到着と謁見
この書簡は、1571年にカブラルが九州から畿内へ旅した際の旅行記とも言える。
カブラル一行は、1571年10月21日豊後(大分)の臼杵うすき港を出発、途中土佐の清水湊、紀州の紀之湊、堺を経て京都に至る。その後、琵琶湖を渡った。その後、大変な雪の中を4日間徒歩で進み、信長の居城がある岐阜の市まちに到着した。信長の執事を通じて訪問を交渉すると、信長は大名や領主からの使節がいたにもかかわらず、その日の予定をすべてキャンセルし、カブラル等一行にが自分と食事を共にするよう命じた














