クリスマス礼拝メッセージ「クリスマスのしるし」2025/12/21

聖書箇所:ルカの福音書2章1-7節
鴨下直樹牧師

ルカの福音書2章1-7節 「クリスマスのしるし」

2025.12.21

笠松キリスト教会 クリスマス礼拝

 いよいよクリスマスを迎えます。今週はアドヴェント第四主日です。今週の24日にクリスマスのお祝いのために、夜もイブ礼拝を行う予定にしています。また、今日の午後はクリスマスの祝会を行うことにしています。クリスマスは、主イエスがお生まれになられたことを、共にお祝いする嬉しい時です。この時に、私たちは互いに「クリスマスおめでとう!」と声をかけあいます。共に、主イエスが私たちのために生まれて下さった喜びをお祝いしたいのです。

“クリスマス礼拝メッセージ「クリスマスのしるし」2025/12/21” の続きを読む

主日礼拝メッセージ ノアの箱舟4「虹の契約」2025/12/14

聖書箇所:創世記8章20-9章19節
鴨下直樹牧師(本日は姉妹による代読です)

創世記8章20-9章19節「ノアの箱舟4 虹の契約」

2025.12.14

 まず初めに今日はインフルエンザになってしまったために、この礼拝説教が代読という形になってしまいましたことをお許しください。そのために聖餐式や役員会、みなさんの相談会の予定もすべて変更となってしまいました。代読ですが、説教をお聞きになられて、みなさんがそこから神様の福音を聴き取ることができるよう願っています。

 さて、私たちは来年から新しい牧師を迎えるための準備をしようとしています。そのために牧師館の改修のことなども話し合うことになっています。新しい牧師を迎える時というのは、私たちもどこかで期待と不安が入り混じるような不思議な思いになることがあると思います。

 それと同じように何かを新しくこと始めるという時にも、私たちは新鮮な思いになります。新しい職場に行く、新しい車を買う、そのような時はもちろんですけれども、新しいノートを使う時でさえ、不思議な緊張感と楽しさがあります。これからどうなるのかという想像が、そこから膨らんでいきます。そこには、様々な期待があるのです。今日の聖書の個所も同じです。この天地を創造された神であられる主は、この罪に満ちていた世界を一度洪水によって滅ぼしてしまわれました。そして、ここから新しいことを起こそうとしておられるのです。私たちでさえ、新しいことを始める時には期待を込めているのですから、神ご自身が創造されたこの世界を、もう一度新しく始めようという時に、その神自身は、どんな思いだったのでしょうか。

“主日礼拝メッセージ ノアの箱舟4「虹の契約」2025/12/14” の続きを読む

岐阜キリシタン小史(51)―岐阜を訪れたイエズス会宣教師⑪―

岐阜における信長とカブラル(フロイス『日本史』より)(3)

前回からに続く。当時の日本では眼鏡は大変珍しい物であったのだろう。

3.岐阜での滑稽な出来事(眼鏡の誤解)
⚫司祭への驚嘆:岐阜の住民にとって、伴天連は見たこともない人々で、目新しくはなはだ数奇な人々であった。
⚫眼鏡への誤解
 近視のフランシスコ・カブラルが岐阜で眼鏡をかけていたことに、一般民衆は衣装よりもはるかに大きい驚嘆を覚えた。
 庶民の間では、「伴天連には眼が四つあり、二つは普通の位置に、他の二つはそれから少し外にはずれたところにあって、鏡のように輝き、恐るべきもの」という噂が流布した。
 司祭たちの出発日には、岐阜市だけでなく遠隔地や尾張の国から四、五千人の人々が、この不可思議な者を見ようと殺到した。
 好奇心から宿泊していた家へ侵入しようとしたため、家主は二階へ昇る階段を取り外す必要があった。
 最初に出てきたのは片眼が盲目のロレンソ修道士であったため、四つ眼を期待していた人々は大声で笑わざるを得なかった。
 後にフロイスが出てきても眼が二つしかなかったが、人々は三千人ほどで彼を取り巻き、郊外半里のところまで同行した。

“岐阜キリシタン小史(51)―岐阜を訪れたイエズス会宣教師⑪―” の続きを読む

岐阜キリシタン小史(50)―岐阜を訪れたイエズス会宣教師⑩―

岐阜における信長とカブラル(フロイス『日本史』より)(2)

 前回からに続き、フロイスの『日本史』より、カブラルの信長との謁見時の記事のまとめである。カブラルたち宣教師一行と信長に加え、三淵藤英や丹羽長秀が登場することから、『カブラル書簡』の記事と同じ場面の出来事であると断定できる。

2.岐阜訪問と信長との会見 当時、織田信長は美濃の国・岐阜に滞在していた。

“岐阜キリシタン小史(50)―岐阜を訪れたイエズス会宣教師⑩―” の続きを読む

岐阜キリシタン小史(49)―岐阜を訪れたイエズス会宣教師⑨―

岐阜における信長とカブラル(フロイス『日本史』より)(1)

 前回までに紹介した『岐阜市歴史博物館研究紀要21』(2013年)に収載の岡美穂子氏の論考により、フロイスの『日本史』の中にも、カブラルが岐阜で信長に謁見した時の記述があることを知った。今回はこのことについて記してみたい。
 フロイスの『日本史』の該当箇所は、第一部95章(中公文庫の『完訳フロイス日本史』では第四十二章)の記事である。私は中公文庫で読んだが、約8ページの短い記述である。(日本語訳のフロイス 『日本史』は他に東洋文庫版もある。)
 以下に必要な項目を立ててまとめてみたいと思う。

“岐阜キリシタン小史(49)―岐阜を訪れたイエズス会宣教師⑨―” の続きを読む

岐阜キリシタン小史(48)―岐阜を訪れたイエズス会宣教師⑧―

岐阜における信長とカブラル(『カブラル書簡』より)(4)

 最後に、『カブラル書簡』に記された信長との謁見場面を改めて総括し、三名(カブラル、フロイス、ロレンソ了斎)が伝えたキリスト教の教えの要点を整理して締めくくりたい。

3.キリスト教教義についての問答

質素な衣装と来世観に関する説明(仏僧との対比)

この教えが伝えられたのは、信長がカブラル一行の質素な衣装(絹を着用していない貧しい身なり)に注目し、なぜそのような衣装を着ているのかを尋ねたことに端を発する。
ロレンソの説明の核心:ロレンソは、この衣装がイエズス会がインドで用いる装束であり、日本でもこれ以上の絹布を着用しないという会の決まりを伝えた。その上で、彼は、仏僧とキリスト教修道士の来世に対する考え方の違いを信長に説明した。キリスト教が現世の世俗的な富ではなく、来世の報いに焦点を当てているという価値観を伝えるものであった。 ロレンソ:「仏教の僧侶たちは、来世について知らず、天国の至福についても期待していないため、今生において良い扱いを受けることに執心しています。それゆえ、彼らは格別の方法で衣装をまとい、食するのです。しかしながら、我が会の修道士たちは、真実を知り、今生の後には地獄と天国があることを知っておりますので、後に天に召されんがため、慎ましくかつ貧しく生きるように努めております。」
信長の反応:信長は、「(イエズス会の)宗旨に即した方法で着想するのは、彼には大変良いことに思われる」と答えた。そして、ロレンソの説明には大変満足し、大いに拍手をした。「これらの者たちこそ、自分が探し求める明敏で正直な人々であり、日本の邪悪な僧侶たちとは異なることよ」と称賛し、同行の大身たちにもその言葉を伝えた

“岐阜キリシタン小史(48)―岐阜を訪れたイエズス会宣教師⑧―” の続きを読む

岐阜キリシタン小史(47)―岐阜を訪れたイエズス会宣教師⑦―

岐阜における信長とカブラル(『カブラル書簡』より)(3)

前回からに続き、『カブラル書簡』に記された信長の言動について記したい。

織田信長の言動(2)

食事の際の命令と発言

⚫信長は召使いに、「パードレたちは予と食事を共にするので、食卓で用いられる食器一式はすべて新品でなければならぬ」と伝えさせた。
⚫カブラルが肉食の理由を説明させると、信長は大変気に入り、再び大いに拍手をし、「これらの者たちこそ、自分が探し求める明敏で正直な人々である」と述べた。
⚫信長は召使いを呼び、庭で飼っていた愛玩用の鳥を殺させ、「それらを十分に焼くことを承服するよう」命じた。
⚫ロレンソが説教している最中、信長はカブラルに向き直り、喜悦に満ちた顔で、「パードレたちよ、僧侶たちがそなたらに害をなし迫害するのは、そなたたちが真実を話すからである」と話し、「神も仏もないということは事実であり、信長らは世間を欺いているからである」と述べた。
⚫信長は1時間半ほど説教を聴いた。
⚫信長は足利義昭の重臣(注1三淵藤英)を招き入れ、「予がパードレたちを招いたので、彼らを先に入らせた。今、パードレたちへの相伴を探していたが、貴殿以外にふさわしい人物があろうか」と述べ、三淵に相伴を命じた。
⚫信長は召使いの少年たち3人を呼び、「日本の僧侶たちとは全く違うパードレ方に給仕するのであるから、衣裳部屋にある絹の衣服をすべて与えて新しく着替えさせよ」と命じた。
⚫食事の最中、ロレンソは、将軍義昭の重臣であった三淵に対し、京都(ミヤコ)において助力が必要な時、あるいは将軍への取りなしが必要な時、または誰かが宣教師団に危害を加えようとしているのが分かった時などに、味方となってほしい旨を伝えた。三淵が返答する前に、それを聞きつけた信長が即座に口を挟み、「確かにそうされるがよかろう。貴殿は、予がパードレたちにしてやることに準じて、頼まれたこと以外のこともしてやるべきである。決して反対のことはしないように願う」と断言した。この信長の有無を言わせぬ指示に対し、三淵は恥じ入りながら地上に目を向け、「御意のままに」と返答した。そして、三淵はすぐに注2過去の件に関して深く謝罪した。
(注1)三淵藤英(みつぶち ふじひで、生年不詳~1574年)は室町幕府末期の幕臣で、足利義輝・義昭に仕えた重臣。細川藤孝(幽斎)の兄にあたり、義昭の将軍就任を支えたが、義昭追放後もなお義昭方に忠誠を示したため、信長の命により切腹を余儀なくされた。
(注2) 過去の件…足利義昭は、織田信長に擁立された後も自立した将軍権力を確立しようと努めていた。そのため、義昭政権は京都(都)の支配において、基盤とする多くの寺社勢力との連携と協調を図る必要があり、このことを指しているのではないか(具体的なことは不明)。

“岐阜キリシタン小史(47)―岐阜を訪れたイエズス会宣教師⑦―” の続きを読む