チャペルニュース ChapelNews 2025

   クリスマス前の四週間のことを「アドヴェント」(待降節)と呼びます。これは、ラテン語の「アドヴェントゥス」という「到来」や「到着」という意味の言葉が語源となっています。クリスマスにお生まれになられたイエス・キリストが、この世界に到来されたことを楽しみに待ち望む期間のことを「アドヴェント」というのです。

この季節に有名なのは「アドヴェント・カレンダー」でしょうか。

これは、12月1日からカレンダーをひとつずつめくるごとに、何か小さなプレゼントをもらいながら、24日の最大の神からのプレゼントであるイエス・キリストを受け取る備えをするという、心づもりの準備として定着しています。
また、「アドヴェント・クランツ」といって、4本のろうそくを灯す常緑樹で飾られた燭台を備えるという習慣もあります。これは、アドヴェントの日曜日が来るたびに、ろうそくを一つずつ灯していき、4本のろうそくすべてに火が灯ると、クリスマスがやって来るという備えをするものです。このように、アドヴェントの季節には、さまざまな飾りや小さなプレゼントを準備することを通して、クリスマスを待ち望む備えをしていくのです。
 クリスマス前の四週間のことを「アドヴェント」(待降節)と呼びます。こは、ラテン語の
「アドヴェントゥス」という「到来」や「到着」という意味の言葉が語源となっています。

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主日礼拝メッセージ  ノアの箱舟3「大洪水の中で」2025/11/23

聖書箇所:創世記7章17節-8章19節
鴨下直樹牧師

創世記7章17-8章19節 「ノアの箱舟3 大洪水の中で」
2025.11.23

「船」という漢字があります。「舟」というへんに「八」と「口」という字を書きます。
この漢字はノアの箱舟に由来すると言われていると説明しますと、ドイツ人の宣教師たち
はこういう話が大好きなので目を輝かせて喜びます。舟にノアの家族八人がみんな入った。
箱舟の入り口から家族が船に入り込むと、神が戸口を閉じられたのです。この漢字の説明は
みなさんも色々なところで耳にされたことがあるだろうと思います。では、「舟」というへ
んに「万」という字と、「口」を書くとどう読むかご存じでしょうか?
私が神学生の頃のことです。当時私は岡崎教会でインターンの奉仕をしながら神学校に
通っていました。当時、岡崎教会は開拓教会で、ドイツ人の宣教師ベルンス・ラインハート
先生が開拓していました。このベルンス先生が、ある時私のところに「船」という漢字の「八」の文字が「万」と変えられた手書きの漢字を持ってきて見せるのです。「この字が読めますか?」と。私は、「先生、こんな漢字はありませんよ?」と答えながら、内心は、「こまった外国人だなぁ」などと思っていました。すると、この宣教師は私に、「そんなことは知っ
ています」と言うのです。でも、「どうしてもこの漢字を印刷したい。コンピューターでこ
ういう漢字を作ることはできないか?」という相談だったのです。今から30年も前の話で
す。それで私が、「残念だけれども、そういう新しい漢字を作ることは、僕のコンピュータ
ーでは出来ません」と答えますと、とても残念そうな顔をするのです。
数か月後、私が通っていた東海聖書神学塾の機関紙である「塾報」の表紙にこの不思議な
漢字が載っていたのです。どうやら、このベルンス先生は、この塾報の巻頭言を頼まれて、
この漢字の話をしたかったのだとその時になって気がつきました。
「舟」というへんに「万」と「口」という漢字はありません。それは、神様はすべての人
をお救いにはならなかったからで、八人だけが救われたから「船」という漢字はこの漢字に
なったのだと、塾報の巻頭言には書かれていました。宣教師らしいメッセージです。「救わ
れる者は少ない。だから、献身して牧師や、宣教師になる人がもっと必要なのだ」とその巻
頭言の言葉は締めくくられていました。

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岐阜キリシタン小史(40)―ロレンソ了斎と岐阜、そして信長、秀吉との関わり―

ロレンソと美濃、そして信長の心を捉えた宗論

ロレンソ了斎と天下人・織田信長との出会いは、日本のキリスト教史における決定的転換点となった出来事である。
信長が岐阜に入城する数年前、ロレンソの言葉は既に美濃の地に届いていた。永禄3(1560)年、美濃の武将・山田庄左衛門が京都でロレンソと宗論(一度目の宗論)を交わし、その論理的な回答と信仰の深さに心を奪われ、洗礼を受けて改宗した。庄左衛門は美濃のキリシタン伝道の先駆者となり、ロレンソが後に岐阜を訪れる道筋をつけた(このときの顛末は岐阜キリシタン小史(6)を参照のこと)

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主日礼拝メッセージ 使徒信条の信仰15「罪を赦す神の恵み」2025/11/16

聖書箇所:ローマ人への手紙 3章21-30節
鴨下直樹牧師

 

 今日は、使徒信条の最後の方にある「罪の赦し」という告白を一緒に考えていきたいと願っています。

 それで、今朝はローマ人への手紙の3章を開きました。このローマ人への手紙3章のことをかつて改革者ルターは「ローマの書の中心、いや、前聖書の中心と見て良い」と語りました。こう言ったのはルターだけではありません。エミール・ブルンナーというドイツの神学者がおりました。この人は、今から60年ほど前のことですけれども、日本の国際基督教大学で教鞭をとったことがあります。このブルンナーがこのローマ3章21節から26節までのところから大学の礼拝で説教した時にも、「新約聖書の中心」という題で説教しています。それほどに、この箇所は聖書の中心的な内容を語っている箇所なのです。そして、まさにその中心で何が語られているかと言うと、「罪の赦し」をここでパウロは語っているのです。

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岐阜キリシタン小史(39)―『南蛮屏風』に描かれたロレンソ了斎―

下の老人の絵をご覧いただきたい。
和服姿で、右手に杖、左手にロザリオを握った年老いた日本人修道士。この人物こそ、イルマンのロレンソ了斎であるとされている。白い眉毛で背中が曲がった老人の姿は、当時の記録に基づいた彼の特徴であったという。
この図像は、狩野内膳(1570~1616)が描いた『南蛮屏風』の右隻に描かれている。

内膳の落款を伴う『南蛮屏風』は5 件確認できるそうであるが、この屏風は神戸市立博物館蔵のものである。(余談であるが、この博物館は前身のひとつが神戸市立南蛮美術館であったため、南蛮美術の世界的なコレクションを多数所蔵していることでも知られている。)

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岐阜キリシタン小史(38)―日本宣教を支えた修道士・ロレンソ了斎―

16世紀、日本にキリスト教が伝来し、多くの宣教師たちが来日して宣教活動に励んだ。ザビエル、フロイス、ヴァリニャーノ―彼らの働きは広く知られているが、その陰で日本人イルマン(修道士)のすばらしい働きがあったことをご存じであろう。もし彼がいなかったなら、日本の宣教は大きく遅れていたに違いない。その名はイルマン・ロレンソ(ロレンソ了斎)。そのロレンソ了斎(以下ロレンソとのみ記す)について、今回から数回にわたり紹介したい。また、このロレンソと岐阜とはわずかではあるが関わりがあるので、そのことについても触れていきたい。

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