内村鑑三を讃えて
我、内村鑑三に魂を奪われし者なり。
若き日、未だ道を探りし頃より、
その思想の高みを仰ぎ、心を傾け続けたり。
彼の言葉は烈火のごとくして闇を裂き、
清泉のごとくして渇きを癒す。
真理の力、ここに在り。
彼の立つところ、世の誉れは遠く、
俗の風はただ足許を掠めるのみ。
彼は普遍の真実を己が軸とし、
天の理を静かに、しかも確かに貫き通せり。
その思想は高く、深く、広く、
空を渡る風のごとく自在にして、
測り知れぬ精神の広がりを宿すものなり。
その眼差しは、真実の国を見据え、
その筆は、不易の理を記す。
「我、信ず。故に、語る」 この信念は岩のごとく揺るがず、
その志は、星辰よりも高し。
彼を囲みし数多の瞳、皆、師の灯火を仰ぎ見し。
才俊の徒、膝下に集いて教えを胸に刻み、
己が道を切り拓きつつ、
師の熱き魂を継ぎて、
静かに世に種を蒔けり。
内村よ、 我ら、汝の跡を慕い、
その光を胸に抱きて、
この世の大道を共に歩まん。
このたび、私が敬愛してやまぬ内村鑑三の著作を、現代の読者へ届けるべく、現代語訳を付して提供することとした。これは私にとって積年の願いでもあり、身の引き締まる思いである。
最初に着手することとしたのは、内村の若き日の魂の叫びを記した記念碑的作品『基督信徒の慰』と、内村の晩年に六十回にわたり続いた渾身の講義『羅馬書の研究』である。これらは、内村の精神の軌跡において、特に深い意味を担う二作である。
二〇三〇年は、内村がこの世を去って一〇〇年という大きな節目を迎える。それまでに、できる限り多くの著作を紹介できるよう、力を尽くしたい。一人でも多くの読者、とりわけ現代という時代を生きる若い世代に、内村の清冽な精神と深い思索に触れてもらえるよう願う。現代語訳を通して、その真髄を心ゆくまで味わっていただければ、これに過ぎる喜びはない。
なお、現代語訳に際し、引用した聖句は『新改訳2017』を用いた。
二〇二五年十月
コンテンツ提供 笠松キリスト教会
北島 智宏