聖書箇所:マタイの福音書16章13-20節
鴨下直樹牧師

「聖なる公同の教会」 マタイの福音書16章13-20節
使徒信条による説教13
2025.07.20
昨年、私たち同盟福音キリスト教会は、横浜での宣教を開始しました。もうすでに、数年前からフライスレーベン宣教師ご夫妻が伝道をはじめていたのですが、礼拝のための場所を借りて、礼拝をはじめました。教団の役員会でも、その数年前に一度横浜を訪ねて、宣教地の視察に行ったことがあります。そのときに、横浜にあります横浜海岸教会を訪ねました。と言っても、外から見ることしかできなかったのですが、ここが日本で最初のプロテスタント教会なのかと感慨深い思いでした。横浜海岸教会というのは、日本で最初のプロテスタント教会です。
今日は、「教会を信じる」という使徒信条の内容ですので、少し、日本の最初の伝道の話をしたいと思います。日本でプロテスタント教会伝道が開始されたのは、1859年11月13日、R・S・ブラウンという宣教師が在留する外国人のために成仏寺というお寺を借りて礼拝をおこなったのが、プロテスタントの伝道の開始の年として数えられています。その年から数えて今年で166年、今年はプロテスタント伝道166年目ということになります。しかし、実際に日本人のための礼拝が行われたのは、その7年後の1866年の8月の第一週にジェームス・バラという宣教師が宣教師のための教会であったユニオン教会と並行して、自宅で礼拝を行った時まで待たなければなりません。そして、それから6年後の明治5年、1872年の1月元旦に初週祈祷会が始められ、横浜に日本の最初の教会である、横浜公会、今で言う横浜海岸教会が生まれました。この日本で最初に生まれたプロテスタントの教会は、当時は横浜海岸公会、今でいう「教会」のことを、当時は「公会」と呼んだのでした。
この「公会」というのは、「カトリック」という意味です。公の教会と言う言葉が使われたことに、キリスト教の歴史学者たちは意味を見出そうとします。
私たちの教会は制度としてのカトリック教会ではありませんが、使徒信条において私、私たちの教会は「公同の教会」、「公の教会」ですと告白します。この使徒信条の「公同」のというのは、原語のラテン語では「カトリック」という言葉です。私たちは、プロテスタント教会に所属しているわけですが、使徒信条は、私たちは「カトリック教会だと信じる」と告白しているわけです。これは一体どういうことなのでしょうか。
先ほど、マタイによる福音書の16章13節以下の御言葉を共に聞きました。ここには、「教会」という言葉が使われています。この「教会」と言う言葉は、四つの福音書の中ではこのマタイの福音書しか使っておりません。しかも、マタイにおいても2カ所しかこの言葉はでてきておりません。この16章13節以下のところでは、ペテロの信仰告白が語られているところです。
主イエスが弟子たちに尋ねます15節と16節をお読みします。「イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」
主イエスと一緒に歩んでいた弟子たちの中で、ペテロがはじめて告白します。「あなたは生ける神の子キリストです」と。このペテロの信仰告白は本当に大きな気づきでした。
時々物語の中で、国王が人々の生活ぶりを見るために、乞食に身をやつして、お忍びで国民の生活ぶりを見てくるというものがあります。水戸黄門なんかも、言ってみればその中の一つです。王様が、一般の人の中で生活していると、その人の立派なふるまいを見て、周りの二、三人の人が気づいて、ついに王様に尋ねる。「あなたは、本当は国王様ではありませんか?」
このペテロの告白はまさにそれでした。この瞬間、キリスト教会の礎が、このペテロの信仰告白によって置かれることになったのだとマタイは記しているのです。
プロテスタントの教会は、ペテロの信仰告白をそのように理解してきました。ところが、カトリック教会ではそうではありません。主イエスの権威をペテロがいただき、そこからはじまるヒエラルキーといいますけれども、ピラミッド型の制度、ペテロを頂点として、弟子たち、一般の人々というような教会の制度を、このときに受け継いだと考えたのでした。これは、私たちプロテスタント教会とは大きく異なる教会理解と言わなければなりません。教会は制度にあるのではなくて、ペテロの信仰の告白によって、ひとつに結びあわされていると私たちは考えているのです。
では、なぜ、私たちは教会がカトリックであるということを信じているのかというと、それは、教会の制度のことを言っているのではありません。この「カトリック」、あるいは使徒信条の言葉では「公同の」とされている言葉は、「普遍の」という意味があります。つまり、「教会は普遍のものである」ということを、私たちは信じると告白しているのです。
では、教会が普遍であるというのは、どういうことなのでしょうか。 「普遍」ということは、「全体に広く行き渡ること、例外なくすべてのものにあてはまること」と私の持っている国語辞典には書いてあります。それは教会と言うのが、時間的にも、空間的にも、すべてを超えたものであるという意味です。つまり、教会は一つしかないということです。しかも、時間も空間も超えて一つだと告白しているのです。岐阜県にはいくつもの教会がありますが、それらの教会と、私たちは同じ教会だと告白していることになりますし、また、時代も超えていますから、先ほどお話ししたような、日本に最初にできた横浜公会と、私たちの教会も同じ教会ということですし、あるいは、ドイツの教会や、お隣の韓国の教会も、もっといえばロシアの教会も、みなすべてこの公同の教会に属していると信じているのです。さらにもっといえば、大昔のパウロの立てた教会や、改革者ルターの教会やカルヴァンの教会とも同じということです。教会は場所も、時間も超えて普遍的に一つにされている教会だと信じていると告白しているのです。教会はそのように、時空を超えて一つであるという告白が、この中でなされているのです。
先週、Kさんが私のところを訪ねてくださいまして、一冊のパンプレットを持って来てくださいました。それは「美濃のキリシタン」というパンフレットです。今、美濃加茂市民ミュージアムで、早稲田大学と一緒に美濃のキリシタンの企画展をしているそうです。パンフレットを見ただけでも、とても興味深い内容で、この美濃の地域のキリシタン時代の信仰の姿が記されています。当時は、キリシタン禁制の時代です。けれども、この地域にはたくさんのキリシタンが潜んでいました。当時、この地域は織田信長がキリスト教に好意的だったこともあって、キリシタン禁制になってからも、この美濃だけは長い間、信仰が認められていたということもありますし、その後の時代になっても、幕府が藩の力を削ぐために、治水工事を九州地方の諸藩に命じます。このために、島原とか、キリシタンの多かった地域から人々がやって来て、この地域にキリスト教の布教をしてきたことなどもあげられます。迫害の厳しい中でにあっても、この美濃には、多くのキリシタン達が潜んでいたわけです。
この時代のキリシタン達の信仰は、当時はカトリックの信仰でしたけれども、このような人々の信仰も、私たちは「公同の教会を信じる」という中には含まれているわけです。
自分の説教の種明かしをするのもどうかと思いますが、時折説教でドイツの教会がとか、ルターはとか、さまざまな地域の教会あるいは、さまざまな時代の人々の話しをします。それが、私たちがそのような教会と、今この笠松の地域にあっても、一つの教会を形作っていることを知ってほしいからです。私たちはこの、岐阜の笠松にある小さな教会の礼拝に集いながら、キリストの測りがたいほど大きな、普遍的な教会に結びあわされていることを知っていただきたいのです。
私たちは、この信仰を告白することによって、途方もなく大きなキリストの交わりに加えられていることを、この礼拝を通して、身をもって体験しているのです。
この普遍的教会ということを説明するために、昔から、「見える教会」と「見えない教会」という言葉が用いられてきました。これは、この教会の普遍性ということを表してきました。「見える教会」というのは、笠松教会とか、芥見教会とか、改革派の教会とか、日本基督教団の教会とかという、目に見えて存在する教会のことです。けれども、「見えない教会」というのは、キリストによって一つにされている、目に見ることのできない交わり、そこには、時間も空間も超えた交わりも含まれています。
私たちは「教会は公同の教会であると信じる」と告白するとき、それは、建物のことや、制度のことではなくて、神の招きに応じて一つにされた、ペテロを筆頭に、同じ信仰を告白する者たちの集まりであるということを告白しているのです。
さて、しかし、この「公同の教会」の前には「聖なる」と言う言葉がついています。私たちの教会は「聖なる」教会であると言うわけです。そうすると、このように告白することに、少したじろいでしまうということがあるかも知れません。
「聖」という言葉は、一般的に汚れのない聖さ、あるいは神聖さという意味で用いられます。そういう意味で、教会が聖なるものであるというと、少し抵抗を感じるという訳です。教会にさまざまな躓きがあります。その一つは、「教会は聖なるところ、汚れのない人たちの集まりであるはずだ」というところに端を発しているのかもしれません。教会をこの罪の穢れた世界のなかにあって、汚れのない理想的な、神聖な所と考えるならば、こういう考えがでてくることもよく分かります。
プロテスタントの教会に属する私たちは、教会は制度ではなく、信仰の告白を共にする人々の集まりであると理解すると言いました。ということは、ここには、実に様々な人々がいることになります。たとえば、最初の教会であった、主イエスの弟子たちはというと、実に様々な人々の集まりであったことが良く分かります。12人いた弟子たちの4人は漁師です。一人は税金取りです。その中には親子もいれば、熱心党と呼ばれたカチカチの律法主義者もいました。お金を懐に入れてしまっている者さえもいましたし、主イエスを裏切る者さえもいました。これらの人々を受け入れられたのは、主イエスご自身でした。ただ、主イエスが選ばれたということの以外、まったく違うタイプの人たちが一緒にいる理由はありませんでした。これが最初の教会でした。それは、私たちが安易に思い描く「聖なるもの」とはかけ離れています。
「聖」とはどういう意味なのでしようか。この言葉の聖書本来の意味は「分離する」とか「取り分ける」という意味です。人間から分離して、神に属する者となったというような意味で聖書では使われています。この世とは異なった存在、それが神に属するということです。ですから、この「聖」という言葉は、「別の」とか「違う」という意味、あるいは「異なる」という意味があるわけです。
主イエスが弟子たちをご自分の働きのために、取り分けられたように、教会と言うところを、この世とは「異なる」「別の存在」とされました。もちろん、その中には、さまざまな人間的な醜さは含まれたままです。けれども、神がそれを取り分けられたのでした。これが「聖」という意味です。神に属しているということは、ただ、神が所有していて下さるだけで、神の側からみれば、それはもう聖いのです。そういう意味で、教会と言うのは、主イエス・キリストを頭とする神の体ですから、もうこの世のものではない、神のものなのです。だからこそ、私たちはこの不完全な人間の集まりであったとしても、神が支配をしていてくださるという理由だけ、それはもう聖いと告白することができるのです。
そこで、もう一つのことを考える必要があります。それは、「教会は何のために存在するか」ということです。
ドイツにディートリッヒ・ボンヘッファーというルター派の神学者がおりました。第二次世界大戦のころに、この牧師は、ドイツでヒトラーに立ち向かい、投獄されて、獄中死した牧師です。
この牧師は何冊もの素晴らしい書物がでていますが、最後の獄中で記した手記、あるいは手紙などが一つにまとめられた『獄中書巻』というものがあります。そこに、次に出版したい本の構想が書かれておりました。三章からなる100ページほどの書物の予定が記されていて、第一章、在来のキリスト教の検討。第二章、キリスト教的信仰とは本来何であるか。第三章、結論という具合で書き進む予定だったようです。その三章までの草案がわずか4ページほどに書いてありまして、結論のところを読むと、こう書いてあります。「教会は他者のための存在であるときはじめて教会である」と。
しかし、残念ながらこの草稿を書き記して半年後、ボンヘッファーはヒトラーによって処刑されてしまいます。
教会は、他者のための存在である。教会は、他の人々のために存在している。このことが、見失われてしまっているのだとボンヘッファーは記しました。この言葉は、こう言うふうに言うこともできるでしょう。「教会は常に外に向かっていなければならない。」
このボンヘッファーの主著となった『共に生きる生活』というタイトルの本があります。その書物は最初に宗教改革者ルターの引用からはじまります。
「御国は、あなたがたの敵たちのただなかにあるものである。だから、このことを認めようとしない者は、キリストの御国の者になることをのぞまず、友人たちのただなかにいようとし、バラやユリのなかに座っていようとし、悪人たちとでなくて、敬虔な人たちと一緒にいようとする。おお、君たち、神を汚す者、またキリストを裏切る者よ、万一キリストが、君たちのしているようなことをなさったとしたら、一体、誰が、救われただろうか」
このルターの言葉は当時の教会批判の言葉でした。そして、その言葉をボンヘッファーは真摯に受け止めようとしたのでした。このルターの引用は、晩年の「教会は他者のために存在する」と言う言葉と一つになっています。
キリストが他者のために生きたように、キリストの体である教会も、同じようにあるべきということです。私たちはこのことに、アーメンと言うことができるでしょうか。
ボンヘッファーはこの書物の書き出しのすぐ後で、「教会がこの世において神のみことばと聖礼典とのために、見える形で集まることがゆるされているのは神の恵みである」と語っています。
これはどういうことか、少し説明する必要があるかもしれません。昔から「教会が教会であると言えるのは何によってか」という問いに足して、宗教改革以降、教会はこのように答えてきました。それは「御言葉が正しく説教され、聖礼典が執行されているところである」と。説教と、聖礼典(洗礼式と聖餐式)が正しく行われているところが、教会だというのです。では、その説教と聖餐式は何のためかと言うと、自分のためなのではなくて、この世のため、他の人々のためというのが、ボンヘッファーの理解でした。
これは、別に新しい教えでもなんでもありません。けれども、いつの時代にも忘れ去られていることであることは事実です。私たちが、今日礼拝に集い、礼拝をささげているのは、自分のためではないのです。私たちが神様のみ言葉を聞いて、元気になるためではなくて、ここに集われた皆さんがこの後、家に帰ってから出会う人たち、この一週間出会う人たちのために、説教を聞き、聖餐や洗礼式が行われているのです。そこで、そのところで、み言葉を聞いたみなさんが、その人々に神の恵みをもたらすためです。ルターの言うように、それは花畑のような居心地のいい場所ではないかもしれません。自分の敵だと思えるような人々が待ち構えているのかもしれません。けれども、そのところが、その生活の場所が、私たちが神の恵みをもたらす場所なのです。
そのために、教会は目に見えるところにも、見えないところにも存在し、そのために、神は私たちを神のものとして分かち、聖としてくださったのです。
ですから、わたしたちが「聖なる公同の教会」を信じると告白するということは、その中に自分が生きていなければ告白できないのです。
なぜ、私がこういう話しをしているかというと、それは、私たちの救いが確かであることをもう一度、知ってほしいからです。そして、私たちの救いは確かなので、私たちは、安心して、他の人のために生きることができるようになる。「他者のための存在」になることができるのです。私は「他者のための教会」と言う言葉を「他者のための存在」と今言い換えました。なぜなら、私たちが教会だからです。私たちの毎日の生活それ自体が、教会の歩みなのです。キリストの体である教会の歩みなのです。私たちが生きているということは、即、キリストが私たちの中で生きていてくださることなのです。
私たちの人生は主イエス・キリストが確かなものにしてくださいます。神は、そしてキリストは、私たちを聖としてくださったからです。だから、私たちの人生は、もはや私のものではなく、キリストのものなのです。そして、その生活は、普遍的なもの、公のものへと変えられていくのです。このすべてを、キリストは私たちになしてくださるのです。
お祈りをいたします。