主日礼拝メッセージ 使徒信条による信仰8「十字架につけられた主」2025/03/09

聖書箇所:マタイの福音書27章45-56節
鴨下直樹牧師

使徒信条による信仰 8
マタイの福音書27章45-56節 「十字架につけられた主」
2024.03.09
鴨下直樹

使徒信条の学びも、今日でようやく「十字架」の信仰告白までまいりました。
今、私は「ようやく」と言いましたけれども、「やっと」と言っていいかも知れません。
「十字架」を語ることを楽しみにしていました。十字架を語る、これが牧師の務めであると言うこともできるかもしれません。主イエスの十字架は、これまでも聖餐式の度に何度も語ってきたと言うこともできます。あるいは、いつもの説教においても、背後では十字架を念頭に置いて説教しているとも言えます。そういう意味ではいつも「十字架」を語っていると言うことができるのかもしれません。「十字架」というのは、教会のシンボルですし、また「十字架と復活」はキリスト教教理の中心です。「十字架と復活」を語るというのは、牧師の生涯をもってしても、この十字架を語りきることはできないのではないか、そんな思いにもなります。それほど、豊かな内容がここにはあります。何度語ったとしても、あらゆる方面から語ったとしても十分に語りきることはできない、それが「十字架」の信仰だと言ってもよいと私は思います。

今日の説教のために、どこの聖書をテキストにしようかとずいぶん考えました。十字架を語るために、一つの聖書箇所を選ぶということは簡単なことではないのです。主イエスの十字架については、旧約の預言書を選ぶこともできます。もちろん、福音書からも選ぶことができます。しかし、それぞれの福音書に記されていますから、どこから選ぶかということも問題になります。あるいは、パウロの手紙や、使徒たちの手紙から選ぶこともできます。聖書には、いたるところに主イエスの十字架の信仰が言い表されています。それで、今日はこの説教のためにマタイの福音書を選びました。特に27章46節です。
「三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマ、サバクタニ。』これは、『わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。』という意味である。
十字架の上で、主イエスが叫ばれた叫びの言葉です。「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」主イエスの生涯の最後に口にされたのが、この壮絶な叫びの言葉なのです。「神に見捨てられた!」と叫んでいるのです。そして、この主イエスの最後の叫びの言葉は、実に多くの人が耳にしました。また、この言葉は今日に至るまで、この叫びの前に世界中の人々が立たされていると言えます。この時、ここにはローマの百人隊長がいました。普段は戦争をするのが仕事の男です。またここには、アリマタヤのヨセフという宗教家であり、政治家の男がいます。
十字架の下で、着物を取り合うために賭け事におぼれている者たちの姿もあります。
イスラエルの宗教の指導者たちがおり、主イエスの弟子たちがいます。
社会的に高い立場の者もいれば、そうでない者、病気の者もいれば、そうでない者もいます。
主イエスの両脇には死刑囚がおり、その場で罪を赦された者がいます。主イエスの家族がおり、新しく家族に加えられるものもいます。無関心な見物人も、仕事のためにそこに居合わせただけの者もいます。世界中のありとあらゆる人々がこの十字架の前にいるのです。
そして、その誰もが、この叫びを耳にしました。この主イエスの絶望の叫びを聞いたのです。

『神よ、どうして!どうして、わたしを見捨てたのですか!』

この言葉をよく考えて見れば、これは、世界中の誰もの日常の出来事、誰もが耳にし、誰もが叫ぶ言葉と言えます。けれども、だからと言って、これはありふれた出来事のひとつだったと言えません。少し、心を静めて考えてみたいと思うのですが、私たちがこのような言葉を語らざるを得ない時、それは、おそらくありふれた出来事の時ではない、余程の時でしょう。余程の出来事が起こってしまった時に、人はそこで感極まってこう叫ぶ。「神よ、どうしてですか!」と。それは例えば、思いがけず大病を患ったとき、自分が、家族が病の中にあるとき、私たちは、何度も、何度もこの言葉が頭の中に浮かんでくるのかもしれません。愛する者を亡くした時、言葉にすることもできないような呻きの中に沈み込んでしまい、そこで「神よ、どうしてですか」とこぼれ出るような声でうめくのかもしれません。地震や、津波で家や家族を失う時、大雨や山火事で家を失う時にも、この言葉が口に登ってくるのでしょう。この「神に見捨てられた」という言葉、この叫びは、私たちの呻きの言葉、余程行き詰まった時の最後の心の叫びの言葉なのではないでしょうか?内村鑑三という、かつて日本がまだ戦争していたころですけれども、日本に無教会という世界にも類を見ない、独自の教会を建て上げた人がおりました。内村鑑三がかつて、後に「第一高等中学校不敬事件」とよばれる出来事を犯した後のことを少しお話ししたいと思います。この内村鑑三の不敬事件のことについて、今はあまり説明するいとまはありませんけれども、当時の教会が戦争時、すべての教会が礼拝において天皇への礼拝が強制された時代、学校の教師をしていた内村は朝礼において、この天皇崇拝を拒みました。実際には少し頭を下げたのですが、これは不十分であると批判を受けるようになりました。そして、このことで彼は日本中から敵対視されるようになりました。
その後、内村鑑三は肺炎にかかり、生死の間をさまよいます。また、激しい迫害で家に石が投げ込まれたりするという厳しい状況に置かれ、病が回復した二ヶ月後教員の職を失ってしまいます。
この間看病に当たって、一人で迫害に闘ってきた妻はインフルエンザが悪化して亡くなってしまいます。これは内村鑑三にとってとても厳し経験となりました。この時の経験を内村鑑三は『基督信徒のなぐさめ』という本のなかで、こう書いています。少し言葉が古いので現代語で紹介します。

「神がもし、神であるなら、なぜ、私の祈りを聞いてくださらないのか。神は自然の法則に勝利することはできないのか? あるいは祈りというものは無益なものなのか。あるいは、私の祈りの熱心さが足りないためか。あるいは、私の罪が深いために祈りに耳を傾けてくださらないのか。あるいは、私を罰するために私に不幸を与えられたのか。これが私の聞きたい事であった。」

そして、続いてこう言っています。

「・・・私は私の愛する者を失ってから数カ月の間、祈ることを止めた。祈りなしに箸をもたず、祈りなしに枕につくまい、と堅く誓ってきたけれど、今は神なき人となり、恨みをもって膳に向い、涙をもって寝床につき、祈らない人となってしまった。」(神若し神ならば何故に余の祈祷を聴かざりしや。神は自然の法則に勝つ能はざるか。或は祈祷は無益なるものなるか。或は余の祈祷に熱心足らざりしか。或は余の罪深きが故に聞かれざりしか。或は神余を罰せんが為に此不幸を余に降(くだ)せしか。是れ余の聞かんと欲せし所なり。・・・余は余の愛するものの失せしより後数月間、祈祷を廃したり。祈祷なしには箸を取らじ、祈祷なしには枕に就かじと堅く誓ひし余さへも、今は神なき人となり、恨(うらみ)を以て膳に向ひ、涙を以て寝床に就き、祈らぬ人となり了(をは)れり。)

この内村鑑三の気持ちは、多くの人が共感できるものだと思います。ある方は、こう思うかもしれません。内村鑑三であってもそういう時があったのかと。しかし、こう言っても良いのです。
誰であっても、厳しい苦しみの中に置かれる時に、このような言葉が口から出てくるようになるのだと。「神よ、どうしてですか?」「あなたが、完全でないからですか? それとも、私の祈りが足りないからか、それとも、これは私への懲らしめですか? 祈っても叶えらないのだとしたらそもそも祈りとはいったいなんなのか?」と、こうして祈りが分からなくなって祈れなくなってしまうのです。そのような経験を通して神に見捨てられたと感じる時というのは、内村鑑三にとどまらず、
誰もが思う態度であるのかもしれません。「神よ、どうしてわたしを見捨てられたのですか?」
この祈りが、この時十字架上で、神の御前で、主イエスによって叫ばれているのです。この十字架の出来事は、私たちがよく見るに値する出来事です。私たちの身に起こる最悪の出来事が、ここで、主イエスと神との間で行われているのです。そして、この出来事をよく見るならば、この時の主イエスの経験は、私たちの叫びとは比べ物にならないほど、厳しいものであったことを私たちは知ることになるのです。

「神よ、どうしてわたしを見捨てられたのですか!」という叫びは、絶望の叫びです。
信仰を失いかねないほどの、絶望の叫びです。事と次第によっては、この叫びのあと、教会から離れるという出来事が起こることも少なくないのです。それは、言ってみれば、この叫びは、私たちにとっては、神との関係を決定づける最後の叫びとなるかもしれない叫びでしょう。
そして、それは主イエスも、まったく同様の思いでなされたものであることがよく分かります。
十字架の上で、主イエスは私たちに代わって戦っておられる、信仰の戦いをしておられる、そして、それは、私たちのために。私たちが神との関係を決定づけることができるための戦いであったと言うことができるでしょう。それは非常に主イエスにとって厳しい戦いでした。
時々私はこういう質問を受けることがあります。「イエスさまは、神様です。すべてをご存じでこの世界にこられたお方です。なのに、どうして、イエスさまはこれほどまでに十字架で苦しまれたのでしょうか? イエス様にはお分かりになっていたはずなのに、このことが私にはよく分かりません。」時折、受ける質問です。そう考える方が、少なくないのだろうと思います。
かつて、宗教改革者のルターはこう言いました。「主イエスほど、死を恐れた方はかつて無かった」と。なぜでしょう?

「死」ということ考えていただきたいのですが、「死」というのは、神の御手に自分の命を預けるということです。死んだあと、私たちは自分の命を神に託すしかありません。人にはそうすることの他に何の方法も手立てもないのです。ところが、十字架上の主イエスは違うのです。父なる神の御手に自分の命を預けることができないのです。十字架においてご自身の死を、神に信頼して委ねることができない。なぜなら、神に見捨てられているからです。この「神に完全に捨てられる」ということ、これが主イエスの十字架の死です。これでは、恐れざるを得ない。その死には一切の平安が存在しないからです。主イエスの十字架の死は、完全に神に捨てられることを意味するのです。だから、この主イエスの十字架の叫びは、神に完全に見捨てられた者の叫びと言えるのです。
この叫びは、実際には主イエス以外の他の誰もすることができない叫びです。私たちがどれほど苦しんだとしても、どれほど悩んだとしても、たとえ、私たちに目に見える答えが返ってこなかったとしても、私たちは叫ぶことが許されています。けれど、主イエスは、神に捨てられる、完全に見捨てられてしまうのです。「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか!」
という言葉は、本当は、私が叫ばなければならない叫びです。なぜなら、私たちは神に見捨てられても仕方がないような者、神の前に義しく(ただしく)生きてきましたと言えるものではないからです。けれども、主イエスだけは違うのです。主イエスだけは、神の前に出ても恥ずかしくない完全な義しい生き方をしてきたお方なのです。それなのに、神に見捨てられているのです。これは、本当は私の叫びなのです。この叫びを主イエスが叫ばれる。なぜそうなれたのでしょうか。それは、私たちがこの叫びをもはや叫ばなくてもよくなるためです。いやあるいは、私たちが叫ぶことができるようになるためです。そう言っても良いのかもしれません。安心して、叫ぶことができるようになるためです。「神様どうしてですか!」と、私たちは、今、神を心から信頼して叫ぶことができる。あなたは、私を見捨てない。私はそのことを知っています。けれども、なぜ、いまこうなるのか、自分としては意味が分からないのです! 神様、私に教えてください!と叫ぶことを許して下さるために、主イエスは、ここで、私たちに代わって叫んでおられるのです。主イエスの十字架、それは、わたしたちのための十字架です。十字架の上で、主イエスは私たちのために闘っていて下さる、私たちのために叫んでくださるのです。それは、罪を犯している私たちを救うために、私たちに代わって神から完全に見捨てられたのです。これが、主イエスの十字架です。最後にひとつの話しをしたいと思います。ドイツにマールブルグという街があります。この街は大学の町として知られていますが、なかでも初期ゴシック様式の会堂であるエリサベート教会があることで知られています。このエリサベート教会の礼拝堂の中に、エルンスト・バルラハの十字架が掲げられています。私が一番好きな十字架です。キリスト者のドイツ文学者に小塩節(おじおたかし)という方がおります。この方は、このマールブルグの大学で長い間教えておられた方です。この方が、『バルラハ』という一冊のこの芸術家を紹介する本を出しました。この本の中で、私がもっとも心ひかれた物語が、このマールブルグの十字架の物語でした。1933年一月。ヒトラーに率いられたナチは合法的に政権の座につきます。そして、政治、経済の権力を手中に収め、文化の面では「退廃芸術」に対する弾圧を開始します。1937年の冬のある日、ベルリンからナチの将校がやってきて、「退廃芸術家バルラハの作品撤去を命じ、廃棄溶解せよとの布告が出され、彼の作品381点がその運命をたどります。その少し前のことですけれども、マールブルグにあるエリサベート教会にもバルラハの十字架が掲げられていました。この教会ではこの作品が廃棄されるのを防ぐために祭壇から十字架を取り外し、目立たない所に置いて、中世のイタリア製の十字架が掲げられました。ところが、ナチにこのマールブルグにもバルラハの十字架があることが見つかってしまい、将校たちが訪ねて来ます。そこで、教会の主任牧師と市長は、教会役員と副牧師に諮りもせずに、倉庫にほこりまみれに置かれたバルラハの十字架をこれはつまらない作品でと確認をさせておいて、将校たちを酒席に招いて、夜を徹して飲み明かした。酔っぱらった勢いで、「こんなものはつまらないものですから、ラーン川にぶちこんでしまいましょう」と提案し、酔った勢いで教会のすぐふもとに流れているラーン川に投げ込んでしまう。ナチの将校も大賛成で、翌朝将校は「作品は破壊破棄済み」としてベルリンへ帰って行きます。けれども、牧師と市長とは明け方、真冬の厳寒のラーン川に飛び込みます。(このラーン川というのは、川幅5メートルくらいでしょうか。深さも1メートルほどの普段は美しい川です。けれども、冬ともなれば事情は異なります。)そして、川底の泥にまみれた十字架を掘り起こして、わらに包んで市庁舎の屋根裏部屋に隠した。市民も、教会関係者も誰一人このことを知らされていなかったと言います。そして、戦争が終わり、ヒトラー政権が終わりを迎えた後、牧師と市長はこの十字架像をエリザベート教会の内陣の正面にふたたび掲げ、今日では再び誰もがこの十字架を見ることができるようになっているのです。後日、小塩さんはこの牧師を訪ねて直接聞いてみたのだそうです。「厳寒のラーン川に飛び込んで寒くありませんでしたか?」すると、牧師は「アルコールが入っていましたから大丈夫でした」とお返事したのだそうです。この十字架は、顔がアジア人のようだとか、浅黒いキリストとか、醜くやせ細ったキリストとか、ずぶぬれのキリストとか、色々なことが言われます。美しいとはあまり言われません。醜く、弱いキリストの象徴として、今も、マールブルグの教会に掲げられています。人々の醜さを、弱さをすべて背負った十字架像です。私は、ドイツにいた間、何度この教会を訪ねてこの弱いキリストの象徴であるバルラハの十字架を見たか分かりません。抗うこともできず、川に投げ捨てられてしまうほど、弱いキリスト。神が力強い方ならば、そんなことを許すのか?と問われても答えることすらできず、権力者のなすがままにされる弱いキリストです。「キリストは弱い」、この十字架を見るたびに私は思います。そして、この十字架を見るたびに、私はこの十字架から慰めを受けるのです。主イエスの十字架には、すべての人の弱さが示されています。病気の力の前に「神よ、どうしてなのですか!」と抗うことしかできない人間の弱さがあります。死の力に怯えることしかできない人間の弱さ、あるいは、自分の意志の弱さのために何度もやめようと思いながらも繰り返して犯し続ける、人の弱さからくる醜さがある、嘆きがある、その人間の醜い、すべての弱さをすべて身に引き受けてくださって、主イエスは人の弱さのすべてを身に受けて十字架に架けられたのです。そして、今もこのマールブルグの教会の中だけでなく、世界中の教会に主の弱さを示す十字架は、高々と掲げられているのです。あれほどの力をふるったヒトラーの政権はどこに行ってしまったと言うのでしょう?当時世界を征服した強国であったローマ帝国は、今では世界で一番小さな国になってしまいました。私たちの主イエスは弱さの中で働かれるお方なのです。私たちはキリストの十字架を信じると告白します。「信じる」と告白したとたん、これは、どこか昔にそういう死刑がありましたというような話とは全く異なるものがあることに気づくのです。キリストは、私の弱さを担ってくださいました。私のどうすることもできない、弱さゆえの絶望の叫びを代わって叫んでくださいました。私の苦しみ、私の嘆き、私が何の希望も、何の慰めも見つけられず、祈ることすらできなくなってしまうはずのところで、この弱く、どうしようもない私を支えてくださっているのは、主よ、あなたです!あなたの十字架です。私たちが主イエスの十字架を告白する時、このような告白をすることができる者へと私たちが変えられていることに気づくのです。使徒信条に記されている十字架を信じるという告白は、「私たちは、この十字架に慰めを受けています」と告白する信仰告白なのです。さきほどの嘆きの祈りをした内村鑑三はそのこのことを記した書物のタイトルを『基督信徒のなぐさめ』としたのも偶然のことではありません。祈れなくなるほどのところから、キリストによって慰めを見出すのです。そこに十字架を見るなら、どれほど厳しい所にいたとしても、祈れなくなるほど弱ってしまったとしても、この弱い、十字架のキリストによって慰められるのです。キリストの十字架は、いつでも、あなたを慰めるのです。それは、いつも私たちのあらゆる弱さが、このお方によって支えられていることを見出すからです。キリストの十字架こそが、私たちを慰めなのです。
お祈りをいたします。

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