主日礼拝メッセージ「男と女、互いの助け手として」2025/03/16

聖書箇所:創世記2章4-25節
鴨下直樹牧師

創世記 2章4節―25節 「男と女、互いの助け手として」 説教原稿 

2025.03.16 鴨下直樹

 この朝から、創世記の2章以下に進んでまいります。この2章を読みますと、本当に創世記は、大変美しい文章で書かれているということが良く分かります。それはまるで、映画を見ているかのようです。この朝、私たちに与えられているテキストは、創世記1章と内容が少し異なりまして。この創世記2章4節からまた、もう一度で別の視点で神の創造が物語られるのです。この第1章を「天地創造物語」と名づけるとすれば、この第2章の4節から3章の終りまでを「エデンの園の物語」と名づけることができます。

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主日礼拝メッセージ 使徒信条による信仰8「十字架につけられた主」2025/03/09

聖書箇所:マタイの福音書27章45-56節
鴨下直樹牧師

使徒信条による信仰 8
マタイの福音書27章45-56節 「十字架につけられた主」
2024.03.09
鴨下直樹

使徒信条の学びも、今日でようやく「十字架」の信仰告白までまいりました。
今、私は「ようやく」と言いましたけれども、「やっと」と言っていいかも知れません。
「十字架」を語ることを楽しみにしていました。十字架を語る、これが牧師の務めであると言うこともできるかもしれません。主イエスの十字架は、これまでも聖餐式の度に何度も語ってきたと言うこともできます。あるいは、いつもの説教においても、背後では十字架を念頭に置いて説教しているとも言えます。そういう意味ではいつも「十字架」を語っていると言うことができるのかもしれません。「十字架」というのは、教会のシンボルですし、また「十字架と復活」はキリスト教教理の中心です。「十字架と復活」を語るというのは、牧師の生涯をもってしても、この十字架を語りきることはできないのではないか、そんな思いにもなります。それほど、豊かな内容がここにはあります。何度語ったとしても、あらゆる方面から語ったとしても十分に語りきることはできない、それが「十字架」の信仰だと言ってもよいと私は思います。

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元旦礼拝メッセージ0101

聖書箇所:テサロニケ人への手紙 第一 5章21節
「良いものをしっかり保ち」

鴨下直樹牧師

今月のみことば

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。

すべてのことにおいて感謝しなさい

テサロニケ人への手紙 第一 5章16−18節

礼拝後のぜんざい交わり会 ♪