―美濃初めてのキリシタン・山田庄左衛門―
筆者はこの連載を思いつくままに書いているため、順序が必ずしも時代順になっていないことをお許しいただきたい。今回は信長が岐阜に入城する(1567(永禄)10年)以前のことになる。
土岐頼芸(よりなり)(1502~1582)という人物がいた。頼芸は土岐氏の当主であった兄頼武(よりたけ)とその子頼充(よりみつ)と対立し、美濃国や周辺国を騒乱に巻き込んだ末、土岐氏当主となり美濃守護となった。そのことに功があったのが、斎藤道三であった。しかし、頼芸はその道三によって美濃国から追放されてしまう。さらにその道三もその子義龍に殺された。義龍は道三の子ではなく頼芸の子だというのが、父子対立の原因であり、義龍自身も土岐氏の後胤と広言していた。(司馬遼太郎『国盗り物語』、NHK大河ドラマの「麒麟がいく」でも紹介されていた。)