岐阜キリシタン小史(6)

 ―美濃初めてのキリシタン・山田庄左衛門―

 筆者はこの連載を思いつくままに書いているため、順序が必ずしも時代順になっていないことをお許しいただきたい。今回は信長が岐阜に入城する(1567(永禄)10年)以前のことになる。
 土岐頼芸(よりなり)(1502~1582)という人物がいた。頼芸は土岐氏の当主であった兄頼武(よりたけ)とその子頼充(よりみつ)と対立し、美濃国や周辺国を騒乱に巻き込んだ末、土岐氏当主となり美濃守護となった。そのことに功があったのが、斎藤道三であった。しかし、頼芸はその道三によって美濃国から追放されてしまう。さらにその道三もその子義龍に殺された。義龍は道三の子ではなく頼芸の子だというのが、父子対立の原因であり、義龍自身も土岐氏の後胤と広言していた。(司馬遼太郎『国盗り物語』、NHK大河ドラマの「麒麟がいく」でも紹介されていた。)

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岐阜キリシタン小史(5)

 ―笠松町ゆかりの史跡、遺物―

 今回は笠松キリスト教会がある、岐阜県笠松町にゆかりの史跡や遺跡・遺物を紹介したい。まず、織田秀信である。この秀信について、今一度記したいと思う。

 秀信(1580-1605)は、信長の長男である信忠の長男として生まれた。信長の孫にあたる。幼名を三法師といい、1582(天正10)年、本能寺の変後の清須会議で織田家の後継者に選ばれた。1584(天正12)年、豊臣秀吉によって岐阜に封ぜられ、秀信と命名された。

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岐阜キリシタン小史(4)

 ―御嵩町「中山道みたけ館」を訪ねて―

 可児郡御嵩町(可児市北東)は、江戸時代には中山道の宿場町として栄えたことで知られているが、それ以外にも白鳳期に創建されたという願興寺という古刹や、平安時代の歌人和泉式部のゆかりの地としても知られ、歴史好きには魅力的な町である。

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岐阜キリシタン小史(3)

 ―迫害のはじまり―

 岐阜県可児かに市は岐阜市の東、約30km、岐阜市から車で1時間弱のところにある。そこに「塩しお」という地区がある。同盟福音・可児キリスト教会(可児市禅台寺)から西に約4㎞、鳩吹山の東側である。1661(寛文元)年、この地に潜伏していたキリシタン24名が捕縛された。現在この地にはカトリック名古屋教区の顕彰碑が建てられている。少し長くなるが顕彰碑の碑文を以下に記す。

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岐阜キリシタン小史(2)

 ―信長・信忠の遺児たちとキリスト教-

織田信雄(1558~1630)

 1582(天正10)年、本能寺の変で信長・信忠親子が打たれた後も、信長の遺児たちによってキリスト教の教えは引き継がれていった。
信長の二男、織田信雄(のぶかつ)は尾張清洲の領主を経て、1583(天正11)年、伊勢長島城主となった人物である。彼は信長の弟である織田長益(ながます別名有楽斎)の勧めで1588(天正16)年洗礼を受け、キリシタンとなった。

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岐阜キリシタン小史(1)

 ―信長・信忠父子によるキリスト教保護―

「岐阜の市(まち)に到りましたが人々の語るところによれば、8,000~10,000 人の人口を数えるとのこと、往来する人の数がおびただしく、バビロンの混雑を思わせる程でした。…」これは1569(永禄12)年5 月、イエズス会宣教師ルイス・フロイスがその著書『日本史』の中で岐阜について記した一文である。

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2024クリスマス集会のご案内

12月24日 イブキャンドル礼拝にて・・
  • 子どもクリスマス会  12/08 (日) 13:30 ~15:00
    •  小学生と未就学児対象 
  • クリスマス礼拝    12/22 (日) 10:30~11:40
  • イブ・キャンドル礼拝 12/24 (火) 19:00~20:00

笠松キリスト教会

岐阜県羽島郡笠松町県町117-68(笠松町役場北側)

電話:058-387-3655 E-Mail :kasamatu1176@gmail.com


22日 礼拝後の祝会の様子。かわいい子どもたちの歌声ダンスで楽しいひととき・・・

チャペルニュース ChapelNews

ドイツの町並み
ドイツの町並み

 今から約20年ほど前ですが、ドイツに3年半ほど住んでいました。
 ドイツの冬はとても暗く、また寒い冬です。私が住んでいた地域はズィーゲンと呼ばれるドイツの中部に位置する田舎町でした。
 日本の気候でいえば、ドイツの11月から3月までは冬です。
 他の人と会うことも少なくなって、家の中で過ごすことが多くなる季節です。
 もちろん、家の中はセントラルヒーティングがあるので暖かいのですが、外はいつも寒いです。 どうしても、人と距離ができてしまう季節なので、冬はとても長く感じる季節でもあります。
 
 また、街から街まで行くには常に森の中の道を走らなければ隣の街にも行けませんから、車で移動する時も、いつも真っ暗な森の中を車で走ることになります。
道は寒さで凍り、街灯も少なく、車で移動しているといつもどこかで不安な気持ちになります。ところが、暗い冬の道を車で移動しながら、少し大きな街にたどり着くと、突然雰囲気が変わります。

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主日礼拝メッセージ「たとえ小さな信仰でも」1124

来週はアドベント第一週

小林剛男牧師

説教題「たとえ小さな信仰でも

聖書箇所 マタイによる福音書 17章14節から20節

 諏訪田製作所

今月のみことば

「平和をつくる者は幸いです。
その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。」
マタイの福音書 5章9節

2024年メッセージ一覧