聖書箇所:マルコの福音書1章1-11節
小林剛男牧師

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聖書箇所:マルコの福音書1章1-11節
小林剛男牧師
聖書箇所:創世記4章17-26節
鴨下直樹牧師
創世記4章17-26節 「カインの末裔とセツの子孫」
2025.05.18
今、笠松教会の礼拝において創世記の御言葉を聞き続けています。この創世記は、神がこの世界をお造りになったことと、その後、人々がどのように神と歩んだのか、いや、どうして神と共に歩むことができなくなったのかが丁寧に語られています。ここまでのところで、この創世記は、人間が神のように生きたいと願った結果、神から離れて生きることを選び取ってしまったことがしるされていました。そして、前回のところでは、アダムとエバの二人の息子カインが、弟アベルと共に生きることを拒み殺してしまうことを通して、一緒に生きていく者を失ってしまったことが語られていました。つまり、信頼すべき神を失い、愛すべき隣人を失っていったことが記されていました。こうして人間は孤独な存在となったのです。ここまでが、前回までのところです。
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鴨下直樹牧師
「エデンの東から帰る道」 創世記4章1-16節
2025.05.11
今日、私たちに与えられている聖書は、エデンの園という楽園から追い出されたアダムとエバの子孫がどのようになったのかを描き出しているところです。神の支配する世界から追い出されてしまった人間が、神の支配のない世界の中で生活を作り上げていこうとする。その最初の出来事としてこの創世記第四章が記されています。そして、このときから、主イエスによってこの世界が贖われるまでの間の人の悲しみの源が、ここに描かれているといってもいいのです。
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小林剛男牧師
聖書箇所:マタイの福音書28章1-20節
鴨下直樹牧師
マタイの福音書28章1-20節 「復活の主」
使徒信条による説教10
2025.04.20
主イエスの復活の日の朝、まだ明け方です。マグダラのマリアともう一人のマリアとは、主イエスを葬った墓に出かけます。しかし、主イエスの弟子たちはどこにも出かけないで、閉じこもったままでした。マタイの福音書ではあまり詳しく書かれていませんが、ここにはこう書き記されています。二人がどうして墓に行ったかというと、大きな地震があったからだと2節に書かれています。二人の女の弟子たちは行ってみると、そこで御使いとお会いし、主がよみがえったことを知らされます。8節には、こう記されています。「彼女たちは恐ろしくはあったが大いに喜んで、急いで墓から立ち去り、弟子たちに知らせようと走って行った」。ここで動いているのは女の弟子たちです。男の弟子たち、十二弟子たちは何も書き残す必要がないほど、彼らは何もしていないのです。
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聖書箇所:マタイの福音書27章57-66節
鴨下直樹牧師
マタイの福音書27章57-66節「死と陰府をも治める主」
使徒信条による説教09
2025.04.13
長い間、私たちは受難節の期間を過ごしてまいりました。そして、今日からいよいよ受難週に入ります。今日は「棕櫚の主日」と呼ばれる主の日です。主イエスがイスラエルの都であるエルサレムに入場されたことを覚える主の日です。そして、今週の金曜日には受難日、主イエスが十字架にかけられる日を心にとめようとしています。
そんな中で、私たちはこの朝、使徒信条の信仰告白のみ言葉に耳を傾けようとしています。今日のところは、前回お話しした主の十字架に続いて「死にて葬られ、陰府にくだり」という告白をしています。今日皆さんと共に聞きたいと思っている使徒信条の信仰告白の内容は3つあります。それは「主が死んだこと」、そして「葬られたこと」、「陰府にくだられたこと」の3つです。
“主日礼拝メッセージ 使徒信条による信仰9「死と陰府とを治める主」2025/04/13” の続きを読む聖書箇所:マタイの福音書26章6-13節
小林剛男牧師
聖書箇所:マタイの福音書25章1-13節
小林剛男牧師
聖書箇所:創世記3章1-24節
鴨下直樹牧師
「あなたはどこにいるのか?」 創世記3章1-24節 2025.03.23
今、教会の暦では受難節を迎えています。主イエスの十字架の苦しみを心に刻む季節を過ごしているのです。そんな中で今朝は、創世記の第3章に入ります。ここには人間の罪のことが記されています。
先週の礼拝でもお話ししましたけれども、神は人をそれぞれ向かい合う存在として創造してくださいました。神に創造された人間、男と女は、互いに助け手として足りない部分を補い合う存在として創られました。それは、まるで三位一体の神ご自身の姿に似ています。
ところが、創世記第3章の御言葉は、そのようなお互いが、互いに攻め合い、責任をなすり合うようになってしまったと書かれています。男と女のみならず、神との関係までもが破壊されてしまいます。
“主日礼拝メッセージ「あなたはどこにいるのか?」2025/03/23” の続きを読む