―迫害のはじまり―
岐阜県可児かに市は岐阜市の東、約30km、岐阜市から車で1時間弱のところにある。そこに「塩しお」という地区がある。同盟福音・可児キリスト教会(可児市禅台寺)から西に約4㎞、鳩吹山の東側である。1661(寛文元)年、この地に潜伏していたキリシタン24名が捕縛された。現在この地にはカトリック名古屋教区の顕彰碑が建てられている。少し長くなるが顕彰碑の碑文を以下に記す。
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キリスト教こぼれ話
―迫害のはじまり―
岐阜県可児かに市は岐阜市の東、約30km、岐阜市から車で1時間弱のところにある。そこに「塩しお」という地区がある。同盟福音・可児キリスト教会(可児市禅台寺)から西に約4㎞、鳩吹山の東側である。1661(寛文元)年、この地に潜伏していたキリシタン24名が捕縛された。現在この地にはカトリック名古屋教区の顕彰碑が建てられている。少し長くなるが顕彰碑の碑文を以下に記す。
“岐阜キリシタン小史(3)” の続きを読む―信長・信忠の遺児たちとキリスト教-
1582(天正10)年、本能寺の変で信長・信忠親子が打たれた後も、信長の遺児たちによってキリスト教の教えは引き継がれていった。
信長の二男、織田信雄(のぶかつ)は尾張清洲の領主を経て、1583(天正11)年、伊勢長島城主となった人物である。彼は信長の弟である織田長益(ながます別名有楽斎)の勧めで1588(天正16)年洗礼を受け、キリシタンとなった。
―信長・信忠父子によるキリスト教保護―
「岐阜の市(まち)に到りましたが人々の語るところによれば、8,000~10,000 人の人口を数えるとのこと、往来する人の数がおびただしく、バビロンの混雑を思わせる程でした。…」これは1569(永禄12)年5 月、イエズス会宣教師ルイス・フロイスがその著書『日本史』の中で岐阜について記した一文である。
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