主日礼拝メッセージ ノアの箱舟2「戸が閉ざされる前に」2025/10/12

聖書箇所:創世記7章1-16節
鴨下直樹牧師

創世記7章1-16節 「ノアの箱舟2 戸が閉ざされる前に」2025.10.12

 昨日から少しずつ雨が降り始めていまして、今週いっぱいは雨が続くそうです。毎日毎日雨がつづくと本当にいやな気持になります。私の父が、かつて小さな本を書きました。『ジュニアのはこぶね』というタイトルの本です。父が中学生の頃、雨が降って体育の授業ができなかった時に、当時の学校の先生が「今日はお話をしてあげます」とノアの箱舟の話をしたのだそうです。その経験が、この本のタイトルになったというわけです。父が若い時に聞いた、ノアの箱舟の話はとても印象的だったようです。後になって父が信仰をもつようになり、聖書の物語だと知るようになってようやく、その先生はクリスチャンであったかと気がついたようです。若い時、雨が降った時に、ノアの箱舟の話を聞いた。それは、父にとって衝撃的な話だったようです。だから覚えていたのだろうと思うのです。

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召天者記念メッセージ「主と同じ姿に」 2025/09/21

聖書箇所:コリント人への手紙第二 3章18節
鴨下直樹牧師

 今日は召天者記念礼拝です。今日こうして、久しぶりに顔を会わせる方々があることをうれしく思います。毎年のことですけれども、教会ではこのようにして、すでに天に召された方々のことを思い起こしながら礼拝の時を持っています。それはつまり、私たちの教会では一年に一度、みなさんと共に「死」について考える時をもっているということです。

 私たちは普段、日常の生活の中から死をできるかぎり追い出して生活しています。死について考えますと、気がめいってしまうからです。けれども、誰も避けて通ることは出来ません。しかし、死を考えるということは、本当は何にもまして考えておかなければならないことです。自分のいのちをどのように終えるのか。その人生をしめくくるのを、漠然とした、もやもやしたものの中に放り込んだままでいることは、自分の人生そのものが、どこに向かっているのか分からないまま、もやもやと毎日を過ごしているということになってしまうのです。けれども、問題は、この死についてどう考えていいのかがよく分かりません。そのために、遠ざけてしまっているというのが、現状なのではないかと思うのです。それで、今日は、聖書が、この死の問題をどう考えているのかということを、少し一緒に考えてみたいと思うのです。

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主日礼拝メッセージ ノアの箱舟1「神との契約」2025/09/14

聖書箇所:創世記6章1-22節
鴨下直樹牧師

創世記6章1-22節 「ノアの箱舟1 神との契約」 2025.09.14

 この朝の説教の題を「ノアの箱舟1 神との契約」としました。今日は1ということですから、続きがあるということです。ノアの箱舟の話は、9章まで続いていますので、4回に分けてお話しすることになります。説教のタイトルとしてはあまり綺麗な題とはいえません。

以前、後藤喜良先生がヨブ記から4年にわたって説教をした時には、「ヨブの信仰その170」という題だったそうですので、それを思えば4回くらいまではまだ可愛いかなと思うところもあります。いつも、小林先生が、私のいない時に説教をしてくださっています。小林先生は、いつも礼拝の細目を作る時に、綺麗なタイトルをつけるなと感心しています。本当は、小林先生のような魅力的な説教題をと思うのですが、予定表を作る時に、説教がまだ完成していない状態で説教題をひと月分まとめてつけるので、私にはここまでが限界かなとも思っています。とまぁ、冒頭から言い訳じみた話からはじめて申し訳ありません。

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