織田信長に最も信頼された宣教師・オルガンティノ(2)
1582(天正10)年6月21日(旧暦6月2日)、オルガンティノは日本史上の大事件である「本能寺の変」を、至近距離で目撃することとなった。当日払暁、京都の南蛮寺にいた彼は、激しい銃声と本能寺方面から立ち上る激しい炎に驚き、寺の屋根からその様子を凝視した。当初は信長による軍事訓練かとも考えたが、やがて明智光秀の謀反であることを知る。彼は報告書(オルガンティノが1582年に書いた『1582年度日本年報』または、同年のイエズス会総長宛の報告書)に記されている。この中で、信長が敵の手にかかって辱めを受けることを拒み、自ら火を放って最期を遂げた様子を記している。また、二条新御所にいた嫡男信忠についても、父の危急を知りながらももはや救援不可能と悟り、奮戦の末に自害した経過を詳述した。この未曾有の事態に際し、オルガンティノは死を覚悟して祈りを捧げつつ、変後の混乱に包まれた京都の情勢を克明に記録したのである。(この記録はのちにフロイスの『日本史』に取り込まれた。)
“岐阜キリシタン小史(53)―岐阜を訪れたイエズス会宣教師⑬―” の続きを読む






