岐阜キリシタン小史(51)―岐阜を訪れたイエズス会宣教師⑪―

岐阜における信長とカブラル(フロイス『日本史』より)(3)

前回からに続く。当時の日本では眼鏡は大変珍しい物であったのだろう。

3.岐阜での滑稽な出来事(眼鏡の誤解)
⚫司祭への驚嘆:岐阜の住民にとって、伴天連は見たこともない人々で、目新しくはなはだ数奇な人々であった。
⚫眼鏡への誤解
 近視のフランシスコ・カブラルが岐阜で眼鏡をかけていたことに、一般民衆は衣装よりもはるかに大きい驚嘆を覚えた。
 庶民の間では、「伴天連には眼が四つあり、二つは普通の位置に、他の二つはそれから少し外にはずれたところにあって、鏡のように輝き、恐るべきもの」という噂が流布した。
 司祭たちの出発日には、岐阜市だけでなく遠隔地や尾張の国から四、五千人の人々が、この不可思議な者を見ようと殺到した。
 好奇心から宿泊していた家へ侵入しようとしたため、家主は二階へ昇る階段を取り外す必要があった。
 最初に出てきたのは片眼が盲目のロレンソ修道士であったため、四つ眼を期待していた人々は大声で笑わざるを得なかった。
 後にフロイスが出てきても眼が二つしかなかったが、人々は三千人ほどで彼を取り巻き、郊外半里のところまで同行した。

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岐阜キリシタン小史(50)―岐阜を訪れたイエズス会宣教師⑩―

岐阜における信長とカブラル(フロイス『日本史』より)(2)

 前回からに続き、フロイスの『日本史』より、カブラルの信長との謁見時の記事のまとめである。カブラルたち宣教師一行と信長に加え、三淵藤英や丹羽長秀が登場することから、『カブラル書簡』の記事と同じ場面の出来事であると断定できる。

2.岐阜訪問と信長との会見 当時、織田信長は美濃の国・岐阜に滞在していた。

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岐阜キリシタン小史(49)―岐阜を訪れたイエズス会宣教師⑨―

岐阜における信長とカブラル(フロイス『日本史』より)(1)

 前回までに紹介した『岐阜市歴史博物館研究紀要21』(2013年)に収載の岡美穂子氏の論考により、フロイスの『日本史』の中にも、カブラルが岐阜で信長に謁見した時の記述があることを知った。今回はこのことについて記してみたい。
 フロイスの『日本史』の該当箇所は、第一部95章(中公文庫の『完訳フロイス日本史』では第四十二章)の記事である。私は中公文庫で読んだが、約8ページの短い記述である。(日本語訳のフロイス 『日本史』は他に東洋文庫版もある。)
 以下に必要な項目を立ててまとめてみたいと思う。

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