聖書箇所:コリント人への手紙第二 3章18節
鴨下直樹牧師
今日は召天者記念礼拝です。今日こうして、久しぶりに顔を会わせる方々があることをうれしく思います。毎年のことですけれども、教会ではこのようにして、すでに天に召された方々のことを思い起こしながら礼拝の時を持っています。それはつまり、私たちの教会では一年に一度、みなさんと共に「死」について考える時をもっているということです。
私たちは普段、日常の生活の中から死をできるかぎり追い出して生活しています。死について考えますと、気がめいってしまうからです。けれども、誰も避けて通ることは出来ません。しかし、死を考えるということは、本当は何にもまして考えておかなければならないことです。自分のいのちをどのように終えるのか。その人生をしめくくるのを、漠然とした、もやもやしたものの中に放り込んだままでいることは、自分の人生そのものが、どこに向かっているのか分からないまま、もやもやと毎日を過ごしているということになってしまうのです。けれども、問題は、この死についてどう考えていいのかがよく分かりません。そのために、遠ざけてしまっているというのが、現状なのではないかと思うのです。それで、今日は、聖書が、この死の問題をどう考えているのかということを、少し一緒に考えてみたいと思うのです。
“召天者記念メッセージ「主と同じ姿に」 2025/09/21” の続きを読む