下の写真は岐阜県歴史資料館所蔵の江戸幕府によるキリシタン禁制の御定書である。


音声メッセージ・教会案内・集会のおしらせを発信しています
最初に「切支丹」という音訳が使われた経緯について触れる。
吉利支丹を切支丹と御改之事
(注)栁営秘鑑曰、古来は吉利支丹と書き來る所、公方綱吉公の吉の字を憚て切支丹と改之者也。
(現代語訳) 「吉利支丹」から「切支丹」に改めることについて
「栁営秘鑑」には、古くは「吉利支丹」と書かれていたものが、公方徳川綱吉公の名である「吉」の字を避けるため、「切支丹」と改められた。
(注)「栁営」とは将軍家のこと。『栁営秘鑑』は、江戸幕府の年中行事や格式、故実、旧例、武家の法規などを詳細に記した書物(例えば三つ葉葵の由来など)。著者は幕臣の菊池弥門で、寛保3(1743)年に成立したとされる。全10巻。
※『尾濃葉栗見聞集』では、キリシタンを、「吉利支丹」、「切支丹」、「幾里支丹」と表記されており、作者吉田正直はこのことについてあまり意識していなかったようである。