岐阜キリシタン小史(20)―『尾濃葉栗見聞集』のこと②―

今回から何回かにわたり、『尾濃葉栗見聞集』のキリシタンに関係する箇所を翻訳し、現代訳を付してみたいと思う。同書のキリシタンに関わる箇所は「天上巻」(1934(昭和9)年発行の一信社版では「巻一」)に集中しており、翻訳と訳出はこの巻からのものに止めることとする。なお、現代語訳と註書は本文執筆者による。


大臼塚由來之事

濃州羽栗郡笠松の下に續て藤掛と三ッ屋との堺木曾川堤添ひに松の古木あり、里人呼て大臼塚といふ、切支丹輩斬罪せられし舊跡なり。古老の傳説に切支丹の者多く斬罪の節歴々の人もありし由、皆悅て討れけるよし、其中に鼠と化して樹木にのぼりしを鳶來て摑み去ると云ひ傳へたり。

(現代語訳)濃州羽栗郡笠松の近く、藤掛と三ツ屋の境界にある木曽川の堤防沿いには、松の古木が立っている。地元の人々はその場所を「(注)大臼塚」と呼んでいる。そこは、かつてキリシタンが処刑された跡地である。古老の言い伝えによると、キリシタンが多数処刑された際、名高い人々もそこに含まれていたという。彼らは皆、喜んで討たれたとのこと、その中には、鼠に化けて木に登った者がいたものの、(とび)がやってきて掴み去ったという話も伝えられている。 (注)大臼は「だいうす」で「デウス」に由来する。岐阜キリシタン小史(3)参照のこと。