三位一体主日礼拝メッセージ 使徒信条の信仰11 「天に昇り神と共に座するキリスト」2025/06/15

聖書箇所:使徒の働き1章3-11節
鴨下直樹牧師

使徒の働き 1章3−11節「天に昇り、神と共に座するキリスト」

使徒信条による説教 11

2025.06.15

「天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来りて、生けるものと死ねる者とを審きたまわん。」

 先週の箇所と前後していますが、今朝は、この使徒信条の第二項の最後の部分から、み言葉を聞きたいと願っています。ここには、三つのことが記されています。それは「キリストが天に昇られたこと」、二番目に「全能の父なる神の右に座しておられること」、そして最後に「やがて再び来られて生ける者と、死んだものとを裁かれる」ということです。

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ペンテコステ礼拝 使徒信条の信仰12「聖霊を信じる信仰」2025/06/08 ※11は次週になります。

聖書箇所:ヨハネの福音書14章16-31節
鴨下直樹牧師

使徒信条の信仰12 

ヨハネの福音書14章16-31節 「聖霊を信じる」 

2025.06.08

ペンテコステ主日

 今日は、ペンテコステの主の日です。ペンテコステというのは「50日目」という意味のギリシア語です。主がよみがえられてから50日目のこの日に、主イエスが約束してくださっていた聖霊が弟子たちに与えられました。この日をお祝いするのが、ペンテコステです。いつも、使徒信条の内容を順に説教しているのですが、今回、本当なら11回目で、この「聖霊を信じる」の前の部分である「天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来りて、生けるものと死ねる者とを裁きたまわん。」という箇所から説教するはずでした。けれども、ペンテコステと説教箇所からずれてしまいますので、今日は来週と聖書箇所を入れ替えて、今日はこの「聖霊を信じる」というところのお話しをしたいと思っています。

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岐阜キリシタン小史(17)―コンスタンチノのこと―

岐阜キリシタン小史(17)―コンスタンチノのこと―

美濃・尾張のキリシタンについて記すにあたり、コンスタンチノという人物のことを避けて通れない。しかし、残念ながら残されている史料はわずかしかない。

コンスタンチノについて調べるにあたり、参考にさせていただいた史料は二つある。ひとつは小生が今作成中の「岐阜キリシタン小史」の年表の基にさせていただいている『尾濃切支丹年表』森德一郎著(1935)。もうひとつは『尾張と美濃のキリシタン』横山住雄著(1978)である。どちらにもコンスタンチノに関する記述はわずかしかない。

まず、小生が作成した「岐阜キリシタン小史」の年表(すなわち森氏の『尾濃切支丹年表』になるが)、コンスタンチノについてに関連する箇所を抜き出す。

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岐阜キリシタン小史(16)―尾張の五聖人のこと③―

日本二十六聖人のことを書いているが、参考にしている『日本26聖人者物語』(ゲルハルト・フーバー著、アンジェロ・アショフ訳 聖母文庫)のまえがきの中に、次のように記されていた。「…さまざまな国の人を含んだこの集団は、言ってみれば、宣教に従事する人たちの国際協力団体のようであり、まさしくカトリック教会を代表していたといってよいでしょう」(アンジェルス・アショフ)。明治維新後や第二次大戦後の日本にたくさんの宣教師が来日した。同じことがこの時代にもあったのだと思わされた。 この本のなかに、26人の国籍や所属修道会、職務が簡潔に書かれているので、あわせて紹介したい。

国籍スペイン4名、メキシコ1名、ポルトガル1名、日本20名

所属修道会・職務

フランシスコ会6名(司祭3名、修道士3名)

在世フランシスコ会員と協力者17名(伝道士5名、伝道士見習2名、奉仕者7名、京都・大阪の修道院に住み込みの手伝いをしていた少年3名)

イエズス会修道士3名

尾張の五聖人について、ルドビコ茨木について前回までに随分紙幅を割いてしまった。他の4人について記してみたい。(下の肖像は『日本二十六聖人画像』岡山聖虚画。数字は、長崎・西坂の二十六聖人記念碑の右からの順番)

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岐阜キリシタン小史(15)―尾張の五聖人のこと②―

前回に続いてルドビコ茨木のことから始めたいと思う。

ルドビコ茨木[1585-1597.2.5]

 二十六聖人のひとりで、最も若い殉教者。尾張出身で「尾張の五聖人」のひとり。

 同じ殉教者のパウロ茨木とレオン烏丸は叔父にあたる。1596年京都のフランシスコ会の教会で受洗。教会とその付属の病院で手伝いをしていた。1596年12月9日、捕らえられ、長崎で殉教。12歳であった。

聖ルドビコ茨木像
(長崎・浦上天主堂)
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岐阜キリシタン小史(14)―尾張の五聖人のこと①―

ルドビコさまは 十二才

耳をそがれて しばられて

歩む千キロ 雪の道

ちいさい足あと 血がにじむ

これは「長崎の鐘」で有名な永井隆によるものである。ここに歌われているのが、二十六聖人の一人、ルドビコ茨木である。処刑されたとき、わずか12歳…。

1597年2月5日、長崎・西坂で、フランシスコ会の神父や日本人の信徒など26名が十字架につけられ、処刑された。時の権力者、太閤秀吉の命によるものある。この事件の背景は「岐阜キリシタン小史」(7)に記したので、参照していただきたい。その中の一人が、ルドビコ茨木であった。処刑された26人中では最も若かった。

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